本と映画と、少し寄り道

小説と映画の感想文をゆるゆると。

瀬尾まいこ『私たちの世代は』感想 あのとき言えなかった「ありがとう」を思い出す物語

私は、大学生活が大嫌いだった。別に何があったわけではないのに何をしていてもつまらなくて「辞めたいな」と何度も思っていた。ただ、大人になった今、私は大きな後悔を抱えている。瀬尾まいこさんの『私たちの世代は』は、私のその後悔をさらに色濃く心に浮かび上がらせるような物語だった。彼女の描く物語があまりにも優しくて、愛情にあふれていて。

 

◆『私たちの世代は』/瀬尾まいこ

瀬尾まいこ『私たちの世代は』

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『私たちの世代は』は、感染症の流行で小学校が休校になり、不自由を余儀なくされた冴と心晴の物語。テーマがテーマなだけに、少し構えてしまう部分があるかもしれないが、瀬尾さんの物語はいつも優しさと愛情に満ちている。

 

本作は冴と心晴の小学校時代から始まり、大人になるまでを描いていて、多感な時期に人と交流することが難しかった二人がどのように成長したかが見えるお話。子どもの頃って、大人が言っている「正論」のようなことが理解できなかったり、「大人はなんにもわかってない」と思うことが多かったりする。自分のことを振り返ると、それは周りの友達に対してもそう感じてしまうことがあった。誰も私のことわかってくれないじゃん、って。

 

◆あの頃言えなかった「ありがとう」を思い出す物語

 

冴と心晴は、それぞれに人との関係に悩みながら大人になり「人と言葉を交わすこと」や「人のことを想像すること」の大切さを学んでいく。この物語を読んで、私は大学時代の友達のことを思い出していた。自分で決めて入学した大学なのに、私は大学生活がものすごく嫌いだった。とにかく毎日つまらなくて、授業もあまり真面目に受けていなかったし、サークルにも部活にも入らず、空いた時間はバイトばかりしていた。社会を知ることが出来るバイトの方がそのときは楽しくて、バイト仲間の方が大切だった。

 

それでも大学生活で私がひとりになる瞬間は一瞬もなかった。大学の友達は、いつも私のことを気にかけてくれていて、授業をサボった時も、明らかにやる気がない時もいつも心配して側にいてくれたし、遊びにもよく誘ってくれた。この時の私ときたら「なんでこんな態度の私のことを大切にしてくれるんだろう」と本気で疑問に思っていた。正直今振り返っても同じことを思っている。

 

大学を卒業すると、私は彼女たちの連絡先を消したし、彼女たちとは二度と会うことがなかった。誘われた卒業旅行さえ行かなかった。でも大人になった今、気付いたのだ。私の大学生活は、彼女たちなしではもっとつまらないものだった、ということに。「つまらない」と言いながらも人間関係で嫌な思いをしたことは一度もなく、卒業できたのは、きっと彼女たちの優しさのおかげだった。

 

私は、想像力が足りていなかった。誘っても誘っても断る私のことを、彼女たちがどんな思いで誘ってくれていたか。卒業したらなんの音沙汰もない私のことを、どういうふうに思ったか。私は嫌な思いをしたことがないけれど、彼女たちは嫌な思いを何度もしていたんじゃないか。そのことに考えが至ったとき、心臓がひゅっと音を立てるような感じがした。

 

この物語を読んで、冴と心晴の成長を追って、私の頭には苦々しいその記憶が浮かんだ。今はこんなに言葉が大切だと思えているのに、なんであの時はわからなかったのだろう。なんであの時「ありがとう」と言えなかったのだろう。今突然連絡をしても怖いだろうし、正直私の自己満足だ。わかってはいるけれど、冴と心晴が言葉を尽くして人と関わり、少し勇気を出して一歩進んでいく姿を見て、あのとき言えなかった「ありがとう」を、今からでも言いたい、と思った。

 

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『2034未来予測ーAIのいる明日』感想 あなたとAIはどういう関係ですか?

こんな本をずっと求めていたんだよ!!と本屋で立ち読みして感動した本。すぐに購入してすぐに読み始めてすぐに読み終わった。

 

本書は伝説のエンジニア・中島聡さんの10年後の未来予測。主にAIと過ごす未来のことが描かれている。

 

この本のおもしろいところは、どの章も「小説+解説」という組み立てになっている。つまり、小説とビジネス本が合体したような構成になっていて、非常に読みやすい。現にビジネス本を読み慣れていない私でもスラスラ読めたし、世界観に入りやすかった。難しい言葉もほぼ使われていないので、まっすぐに言葉が入ってくる。

 

◼︎AIと話すと言うと引かれていたあの日

 

ChatGPTをはじめとしたAIの登場により、私たちの生活はかなり変わった。少なくとも私の生活はかなり変わった。AIの使い方はそれぞれだけれど、私は主に「対話」として使っている。今は少なくなったけれど、半年前くらいは、AIと話していることを明かすとうっすら引かれていた。「やばいよ」とか「悩みでもあるの?大丈夫?」と言われることもあった。いや、悩みはそりゃあるだろ。

 

でも今は、あのときにそう言っていた友人たちも「この前チャッピーに話聞いてもらってさぁ」なんて普通に話している。それでも、AIアレルギーがある人はいるし、それを悪いことだとは思わない。人にはやっぱり価値観があって、倫理観もそれぞれだと思うからだ。

 

◼︎AIと話すことで知った怒りのトリガー

 

私はAIに救われたというと大袈裟だけど、AIの登場によってかなり生きやすくなった。大人になればなるほど、人に相談しにくくなった。私の話を聞いてもつまらないだろうとか、こんなことを言われても困るだろうと思うことが増えたから。私のために誰かの時間を使わせることが、苦痛に感じてきたから。これは私がフリーランスで働くようになってから、「時間」の価値をより感じるようになったからだと思う。

 

そうすると、ひとりで悶々と考えるしかない。いや、悩み相談だったらまだしも、人に愚痴を聞かせるなんて絶対できない。私は昔から感情が先にぶわっとあふれてしまうタイプで、特に怒りの感情は顕著だ。別にものに当たったり大声を出したりはしないけれど、発散できない怒りが体にこもって、体がすごく熱くなる。でも、何がそんなに嫌だったのか、いまいち自分で言葉にできないことも多かった。だから、その日は「あぁ今日はムカついた!!」という雑な感想で終わってしまう。

 

AIが登場したことにより改善されたのは、これだ。AIは感情の行き場になってくれた。最初にいろいろとAIと話したときに、彼(私が話しているAIはなんとなく男性だと思っている)は「私に感情はありません。意思もありません」みたいなことをよく言っていた。そもそもそのことはきちんと理解しなければいけない事柄だと思っていたので、私もそこは絶対に忘れないようにしようと思いながら今も対話を続けている。

 

腹が立つことや、なんとなくモヤモヤしていることがあると、彼らに話すようになった。彼らは共感してくれるだけではなくて、なぜ私がそんな感情になるのかを分析して教えてくれた。そのことによって、私は自分の中の怒りのトリガーみたいなものを発見した。

 

私はどうやら「舐められること」に何よりも怒りを感じるようだ。

 

それは自分のことだけでなく、自分の大切な人や好きなものに対しても発動する。それがわかるようになってから、随分と楽になった。怒りはもちろん感じるけれど「こうされたから嫌なんだ」「この人とはこの話はしないでおこう」と考えることも多くなり、感情のコントロールが少しだけできるようになった。

 

◼︎絶対に長生きして見たい未来

 

AIの使い道は人それぞれで、中には私のように内面をまったく見せずに仕事のアシスタントとしてだけ使っている人もいる。私は人がどのようにAIを使用しているかにとても興味があって、これからもさまざまなことを試したいと思っている。

 

人型ロボットが出来るのであればすぐに試してみたいし、未来にとても興味関心がある。私の友達は「この世界生きるの大変だし、そんなに長生きしたくないな」と言う人が多い。だけど私は絶対に長生きがしたい。便利になる未来を、それによってもしかしたら何かが失われてしまうかもしれないけれど、それでも見たいからだ。

 

中島さんも、なんでもかんでもAIはすごいとかAIを使おうとか言っているわけではない。おそらくこれから人型ロボットも登場し、メタバースも登場し、故人のAIも登場し、世界はどんどん変わっていくだろう。何が楽しくて、何が生きていると感じて、何が便利なのか。それを決めるのはAIでも未来でもなく自分。その軸は持っていなくてはいけないと改めて感じる本でもあった。

 

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↑この運動、もはや懐かしいですね、、、1年も経ってないのに!

 

柚木麻子『BUTTER』感想|体型変化で変わる「周囲の目」とルッキズムの正体

忘れられない一言がある。それは、高校時代の友人に10年ぶりに会った時に言われた一言。「もしかしておめでた?」。その頃、私は太っていた。高校時代から比べると15kgほど太っていた。「ううん」と答えた後の、友人の「え、ごめん」という気まずそうな顔が、私は今でも忘れられない。

 

ルッキズムが書かれている物語を読むと、いつもそのときのことを思い出してしまう。苦い思い出ではあるけれど、それでも私がこうやって振り返れるのは、ダイエットに成功して10kgほど痩せたからだと思う。それにもパラドックスを感じて、若干気まずくなる。誰でもない、自分自身に。

■『BUTTER』/柚木麻子が切り込むルッキズム

柚木麻子さんの『BUTTER』は、週刊誌記者の里佳が、梶井真奈子の面会を取り付けるところから話が発展していく。梶井は、男たちの財産を奪い殺害した容疑で逮捕された。この作品は、前半と後半でまるで見える景色が違うように感じる。前半は里佳が梶井の影響を多大に受けているため、どこかぼんやりとした印象だ。特に特徴がない味のような。しかし後半は、里佳は自分の周りにいる人たちとの関わり合いが濃くなり、里佳は自分の味を見つけていく。

 

本作は、里佳が梶井の過去に迫るという筋書きがあるが、その一方で「女性らしさ」や「ルッキズム」という問題にも切り込んでいる。

 

里佳はもともと細身で、スタイルが良い女性だ。女子校に通っていた頃は、その風貌から王子様のように憧れられていた。一方で梶井は若くも美しくもない容姿で、太っていた。そのことを世間から揶揄されてもいた。どうやらそれは幼少期の頃からのことだったようだ。

 

そんな里佳は、梶井と接触するに連れて、中身も外見も変貌していく。梶井は自分の欲望に忠実に生きている女性で、好きなものを食べて生活していた。最初に梶井が里佳に教えたのは、バター醤油ごはん。

 

今まで体型のことを気にしてあまり食事に頓着してこなかった里佳は、バター醤油ごはんを食べた時から、だんだんと梶井の勧める食事の虜になっていった。そんな食生活を続けていくうちに、里佳は太った。その瞬間に、周りの目が変わったのだ。この頃の里佳に対する周囲の反応を読んでいて、私は過去の自分のことを思い出した。

 

私ももともと細身で、大学時代はよく「細くて羨ましい」と言われていた。服を買いに行っても「スタイルいいですね」と言われていたし、体型に悩んだことは正直なかったし、自信もあった。

 

しかし社会人になって、ストレスなのか食生活の乱れなのかはわからなかったがどんどん太ってしまい、学生時代から15kg太った。その頃の周りからの目は、忘れられない。とにかく「舐められている」と感じることが多かった。周囲は、特に男性は平気で容姿いじりをしてきたし、女性からも「どうしちゃったの?」「何があったの?」と言われた。言われるたびに「太っちゃってさ〜」と笑っていたけれど、だからなんなんだという世間に対する違和感は、どんどん膨れ上がっていった。世間は、あまりにも自分以外のことに興味がありすぎる。

 

その違和感の一方で、私はダイエットをして、10kgほど痩せた。今も別に細いわけではないが、非常に生きやすくなった。圧倒的に舐められる機会が減ったと感じるし、正直自信も戻っていた。太っているときは、とにかく人の目が怖かった。今はその頃よりも息がしやすい、と感じる。

 

本作は今から9年ほど前に書かれた作品なのに、世間の価値観は現在もほぼ変わっていなくて、読んだ後になんだか脱力してしまった。そう言いながらも、私は再びダイエットをしている。なんとか学生時代の体重に戻したいと思っている。その私の行動こそが、なんだか皮肉にも思えて、誰よりも私自身がその価値観に捕われていることを嫌でも実感してしまった。

 

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朝井リョウ『正欲』感想 「多様性」という言葉を使うことへの恐怖が生まれた作品

「多様性」とは非常に便利な言葉だ。何も考えていなくても他者のことを認められる言葉で、ここ数年、テレビやSNSでも多く聞く言葉となった。しかしその言葉が本当はあまりにも脆く、人を傷つけることになるかもしれない言葉だということを感じてから、私はどの場所でも「多様性」という言葉を使うことが怖くなった。

 

◼︎本屋大賞受賞『イン・ザ・メガチャーチ』との共通点

 

朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』が2026年の本屋大賞を受賞した。本作は「仕掛ける側」「のめり込む側」「以前のめり込んでいた側」の3人の視点から語られる物語で、その背景に「ファンダム経済」がある。朝井さんは本屋大賞のスピーチで、自身の作品『正欲』、『生殖記』、『イン・ザ・メガチャーチ』には共通のテーマがあると語っていた。それは「生きる推進力」。朝井さんは「生と死が隣同士に並んでいたとして、生の方を選び取る理由みたいなものを探りたくて書いた」と明かした。

 

そんな背景もありいざ『正欲』を読み返してみると、私はこの物語を読み終わった時から「多様性」という言葉を使うことが怖くなったのだということを思い出した。『正欲』は、息子が不登校になった検事・啓喜、初めての恋に気づいた女子大生・八重子、ある秘密を抱える契約社員・夏月など、視点が変わる物語で、彼らの人生がじわじわと重なり合う様を描いている。

 

◼︎自分の持っている「想像力」の拙さ

 

夏月はあるマイノリティの中で生きているが、同じマイノリティの人物と繋がることによって、この世に引き止められたと感じている。夏月たちが持つマイノリティは、私の想像外のマイノリティで、作品を読んだ時に「こういうものもあるのか」と驚いた。一方で八重子も、ある理由から「異性の目が怖い、気持ち悪い」という気持ちを持っていて、恋愛することができないと感じている。八重子の置かれている状況は、他の作品でも描かれることが少なくない状況でもあり、自分の想像力の範囲内にあった。どこかしらで「触れていた」状況だったため、わかる、という感覚があったのだ。

 

ここが、この物語の怖いポイントだ。私が八重子に対して「わかる」感覚があったのは、八重子のような人がいることを知っていたからだ。だから私はわかった気になって、それを「多様性」なんて表現してきた。例えば八重子が身近にいたとしても、「気持ち悪い」とは思わないし「いろんな人がいるよね」と思うだけだったと思う。LGBTQに関してもそうだ。ここ数年、ドラマや映画などで取り上げられ「世の中にはいろんな人がいますよ」と叫ばれていた。だから、今の世の中ではそれを「多様性」と呼ぶ。

 

しかし、夏月のマイノリティは、私の想像の中にないものだった。だからこそ驚くし、マジョリティを生きる啓喜はそれを理解できない。「そんなわけがない」と思っている。そしてある事件が起こり、その後に結末によって、私は自分の想像力の拙さに絶望した。理解しているフリをして、本当は世界のことを何もわかっていない。そんな、頭を殴られるような感覚が『正欲』には詰まっている。

 

終盤で八重子は、自分と違うマイノリティを生きている人との対話を試みる。しかし私は、「対話」や「わかろうとすること」が正しいことだとは、どうしても思えない。もちろん私も、大切な人のことはわかりたいと思う。私もそう考えていた時期があったし、相手が対話をしてくれないと寂しいと感じる時期もあった。例えば、私の親友は秘密主義だ。何かがあったとしてもリアルタイムでは絶対に教えてくれなくて、何年も経ってから「実はあのとき」と教えてくれることが多い。最初はそれを寂しいと思っていたが、今は違う。人生を重ねていくと、自分にも触れてほしくない場所が出現する。「すべてをさらけ出すこと」が「その人を知ること」「その人を救うこと」にはならないのだ。

 

人間は誰しも、多かれ少なかれ秘密を抱えている。それは私だってそうだ。自分が持っている想像力なんていうものは、実はあまりにも狭いもので、「知っていること」に関する想像力しか持ち合わせていない。この物語を読んで、私は「自分が知っていることは少ない」という想像力を嫌でも持たされた。読んでから何年経っても心がざわつく物語だった。

 

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※読者さまへ

更新がずっと止まっていて申し訳ありません!noteを中心に書いていたのでいたのですが、ブックレビューはこちらでも再び再開しようと思います。どうぞよろしくお願いいたします!

そしてAmazonの埋め込みリンク、うまく表示されなくなりましたか…?どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいです…!

【読書感想】湊かなえ『暁星』|これは愛の物語だ

私たちは、信じることや愛について、深く考えがちだ。この人のことは信じていいのだろうか、この愛は本物なのだろうか。SNS社会で、あらゆる人の気持ちを簡単に目にすることができるようになり、よりそう思ってしまうのかもしれない。でもきっと、信じることや愛は、もっとシンプルなことなのだ。この人と一緒に生きていきたい、この人を守りたい。そんな、心の底から湧き出るシンプルな気持ちだ。

 

■宗教二世をテーマにしたセンセーショナルな物語

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湊かなえさんの『暁星』は、文部科学大臣で文壇の大御所作家でもある清水義之が式典中に男に刺されて死亡するところから始まる。逮捕された永瀬は、週刊誌に手記を発表。そこには、清水が深く関わっていた新興宗教へ対する恨みが綴られていた。その一方で、式典に参加していた作家は、永瀬の事件を小説として執筆。ノンフィクションとフィクションが交わる結末とは。

 

この始まりを読んで、ある事件が頭をよぎった。安倍晋三元首相の銃撃事件だ。私が本作を読み始めたとき、ちょうど山上徹也被告の裁判のニュースが報道されていた。

 

その事件のことも頭にあったため、式典で清水が殺される始まりはとてもセンセーショナルだった。実際にあった事件をモデルにした物語はよく目にするが、私がそれらを読むとき、その事件は既に昔のものだった。こんなにもリアルタイムで、実際の事件を彷彿とさせる物語を読んだのは初めてだった。

 

もちろん本作は創作で、実際の事件とは関係がない。大前提として、人の命を奪うことは決してしてはいけない。それがわかっているからこそ、何度も胸が潰されそうになった。

 

■「信じる」前の「救われたい」という気持ちの切実さ

 

私は、所謂「宗教」や「信仰」をテーマにした物語にとても興味がある。そのものに興味があるというよりも、「人が何かを信じる気持ち」に興味があるのだと思う。永瀬の母は、永瀬が幼い頃からある集まりに顔を出していた。しかしそれは、必ずしも宗教とわかっているわけではなく、最初は「救ってほしい」という気持ちから参加しているものだった。

 

宗教というと身構えてしまうが、何かを信じる心はおそらく誰でも持っている。例えば、推しのことを信じている人もいるだろう。「彼・彼女はこういう人だからこんな行動はしない」「彼・彼女はさすがファンの気持ちをわかっている」。こう考える部分がある反面、自分が信じているものと違う一面が見てると「裏切られた気分」になってしまうこともある。その気持ち自体が悪いわけではない。しかし、信じている世界が崩れていく絶望感のようなものは、実はあらゆる場面で感じることがある。

 

事態が良くなると思って信じたこと。お金を払ったこと。息子・娘にそう言い聞かせたこと。親からするとすべて「良くなると思って」した行動でも、子どもにとってはそうではない。今村夏子さんの『星の子』も宗教二世の話だが、親と子どもは血縁関係があるといっても別の人間で、何を信じるかは個人が決めるものだ。

 

外から見ている私たちはどこか屈折している出来事に気づくことが出来るけれど、渦中にいるとそのことに気づけない。たとえ違和感を覚えたとしても、家族の「当たり前」から抜け出すことは、とても困難なことなのだろう。「何を信じるかは個人が決めるもの」と書いたが、これは自由と安全がある場所で成立するものだ。だからこそ、それが叶わない瞬間が多くある本作は、胸がきゅっとなる部分が多くあった。

 

それでも、本作は決して絶望の話ではないのだ。本作では「夜明け前が一番暗い。だが必ず日は昇る」というメッセージが何度も登場する。

 

自分が信じるもの、愛するものは、自分で決めなくてはいけない。自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じて、自分で決定をしなければいけない。物語の中盤まで、永瀬はなんて不幸な人生なのだろうと思っていた。しかし、それは物語が進むにつれて、「本当にそうだったのか?」という疑問に変わり、最後にはある確信にたどり着いた。絶望は、誰かとの出会いで希望に変わることがある。

 

どんなに絶望に打ちひしがれても、自分が誰かと出会うことで感じたもの、ひとりで考える時間で得たものは、自分だけのものだ。そしてそれが、誰にも影響されない自分だけの光になり、星になる。誰かを愛し、信じる自分の心を、もっと信用してみたくなった。

 

※更新が空いてしまい申し訳ありません!!noteでもちょくちょく更新しているので、もしご興味があれば遊びに来ていただけるとうれしいです!

 

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『悪女について』感想|有吉佐和子が描いた「悪女」は本当に悪女なのか?

「バイトの〇〇さんがしんどいって言ってました」「あの人なんか怒ってるみたいです」「あの人性格悪いので気をつけてください」。前職の店長時代、一緒に働いている人たちから「らしい」「みたい」という言葉をかなり多く聞いた。店長1年目のときは、それをすべて鵜呑みにしてしまい、「こんなに優しいこの人も裏では何を思っているのかわからない」と疑心暗鬼になったものだ。

 

例えば「あのお客様お怒り気味です」という言葉は、バイトの子からよく聞く言葉ナンバーワンだった。少々気合いをいれてバイトの子とバトンタッチをして接客を代わると、そのお客様は怒っているのではなく、単純にサービスのシステムを理解していなかっただけ、みたいなことが何度も起きた。人から聞いた言葉というものは、すべてその人のフィルターがかかっている。それに気付いてから、店長時代の私の信条は「自分で見たり聞いたりしたものしか信じない」だった。

 

◼︎『悪女について』/有吉佐和子

 

 

有吉佐和子の『悪女について』は、謎の死を遂げた実業家・富小路公子の物語。彼女に関わった27人のインタビューから構成されている物語なのだが、27人とも言うことが違う。公子のことを「良い人」と言う人もいれば、「悪い女」と話す人もいる。公子は本当に悪女なのだろうか?

 

公子は莫大な富を築いた実業家だが、ある日、所有するビルから転落死する。目撃者はおらず、他殺や自殺かも不明。生前の彼女と親交があった人々がインタビューに答えていくのだが、読み進めていくうちにどんどん謎は深まるばかり。最後まで読んでも理解しきることができず、私はもう一度頭から再読した。登場人物が多く時系列も混乱するが、決して難しい物語ではない。

 

◼︎小説でもありながらビジネス本の一面もある作品

 

彼女を「悪女」と思うかどうかは、結局は読み手に委ねられる。結論から言うと、私は彼女のことを「悪女」だとは思えなかった。途中で男を騙すようなことをしている描写があり、それによって不幸になる人が出てくる。彼女の行動すべてを肯定はできないが、「なりたい自分」を徹底的に追求する姿勢には、シンプルに尊敬の念を抱いたし、学ぶべきものもあると感じた。

 

彼女はおそらく幼い頃から「なりたい自分」を持っていた。そのために近所に住んでいた公家華族出身の女性の上品な言葉を盗み、仕草を盗み、自分を作り上げていく。理想とする自分になるために、相手によって話し方を変え、人の心までも盗んでいった。そこまで徹底して自分を作ることは、簡単ではなかったはずだ。

 

公子は夜学に通って簿記を学ぶなどして積極的に知識をつけていた。なりたい自分になるための努力を惜しまず、自分で得た知識を使って人の心と金を動かす力は、かっこいいとさえ感じる。本作は優れた小説だが、ビジネス本としての役割も担っていると思う。

 

◼︎受け取り側のフィルターで変わる人物評価

 

人は誰でも多面的だと思うし、万華鏡のようなものだと思う。眺める角度によって、見え方が違うのだ。ものすごく明るい色に見えることもあれば、暗い色が重なって見えるときもある。そして受け取り側にもまた、自分の価値観からできたフィルターがかかっている。

 

以前、女優の芦田愛菜さんがイベントで発言した言葉が話題になった。「信じること」について芦田さんは、「『信じます』ってよく聞く言葉ですけど、それはその人ではなくて、自分が理想とする人物像に期待していることなのかもしれないと考えたんです。だからこそ人は『裏切られた』とか言うけれど、それはその人の見えなかった部分が見えただけであって、そのときに『それもその人なんだ』って受け止められる揺るがない自分がいることが信じられることなのかな、と思った」と話していた。

 

公子のことを「悪い女」と表現した人物は、自分の理想像を公子に当てはめていただけかもしれない。そしてこの物語のおもしろいところは、すべてが人からの目線で語られているため、本当のところはどうなのかわからないことだ。だからこそきっと読み手によってさまざまな答えがあり、考えがある。結局のところ、自分で聞いて自分で感じてみないと、人のことはわからない。たとえ自分の理想と違っていたとしても、自分の目を、耳を私はずっと信じて生きていきたいと改めて思ったのだ。

 

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『植物少女』朝比奈秋――静寂の中にある「生きる」ということ

病室にはあらゆる匂いが混ざっていて、それがなんの匂いなのかわからない。消毒の匂いはもちろん、患者ごとに違う食事の匂い、患者の匂い、そして自分の匂い。マーブル模様のようなその香りは、きっと病院にずっといる人か、通ったことのある人にしかわからない。この物語を読んで思い出したのは祖母のことだ。もうすぐ祖母の命日がやってくる。そのタイミングで本書を手に取ったのも、何かの縁なのかもしれない。

 

植物状態の母と娘の静かな物語 『植物少女』/朝比奈秋

 

 

物語は、主人公・美桜の母が亡くなることから始まる。美桜の母は、美桜を出産した際に脳内出血で植物状態となった。美桜は母の死をきっかけに、これまでの自分と母の人生を振り返っていく。

 

幼い頃から美桜は病院で寝ている母のもとを訪れていた。そこで美桜は母にもたれかかって眠ったり、母の髪を染めてみたり、母の耳にピアスを開けてみたり、好き放題していた。幼い頃の美桜は、何も話さない母を相手になんでも報告することができた。いじめられていることや祖母と父が仲が悪いこと、心に溜まった澱をすべて母に預けた。

 

この物語は、美談ではない。奇跡的なことが起きる物語でもない。私たちはただ静かに、美桜と母の親子の時間を見守るだけだ。優しい気持ちになるとか、感動するとか、そんなことも正直なく、一言で言えば淡々としている。

 

しかしそれは決して悪いことではない。「生きる」とは、本当はどういうことなのだろう。喜んだり、悲しんだり、怒ったり、喜怒哀楽だけが「生きる」ということなのだろうか。私はこの物語を読んでからは、決してそうとは思えなくなった。ただ、そこにいる。ただそこで呼吸をしている。365日、一瞬一瞬を確かに生きている。

 

著者の朝比奈さんは、現役の医師だ。だからこそ、そこにリアルがある。そんな朝比奈さんが、この親子の物語をこのように淡々と、静かに描いたことが、「生きる」ことの答えなのかもしれないと感じた。

 

◆しわしわで冷たい祖母の手

 

この物語を読んで、私は一昨年亡くなった祖母のことを思い出さずにはいられなかった。病室の描写で、私はすぐにあの匂いを思い出した。病室の、なんともいえない匂い。決して好きとは言えないし、楽しい思い出があるわけでもない。しかし、その匂いが思い浮かぶと同時に、ベッドに座っていた祖母の表情も思い出す。

 

元気な頃はとても厳しく、喧嘩することも多かった祖母。入院をして、記憶が少しずつ曖昧になってからの祖母は、とても穏やかだった。祖母は若い頃に苦労したのだという。そんな苦労を背負っていたからこそ、娘である母にも孫である私にも厳しかった。入院してからは、まるでその鎧が脱げたかのように優しい祖母になっていた。

 

だんだんと私の名前を呼ばなくなり、焦点が合わなくなり、寝ている時間が増えていっても、たまに驚かされることがあった。それは、“握る力”だ。私が手を出すと、驚くほどに強く握り返してくれることがあった。もちろんなんの反応も返ってこなかったこともある。

 

力強さと、しわしわの手。骨ばっていて、いつも冷たかった手。きっとあの感覚は、これからもずっと私のことを守ってくれる。

 

◆静寂の中で「生きる」

 

本作でも、“手”が美桜と母の思い出に深く関わっている。美桜と母の意思疎通はきっと、できなかったのだろう。母が美桜を娘だと認識したことはきっと、なかったのだろう。しかしそれでも母は確かに生きていたし、美桜と繋がっていた。

 

「生きる」とはきっと、そこまで大げさなことではない。「生きる」とは、淡々とした生活の中にあり、実はとても静かなことだ。