「多様性」とは非常に便利な言葉だ。何も考えていなくても他者のことを認められる言葉で、ここ数年、テレビやSNSでも多く聞く言葉となった。しかしその言葉が本当はあまりにも脆く、人を傷つけることになるかもしれない言葉だということを感じてから、私はどの場所でも「多様性」という言葉を使うことが怖くなった。
◼︎本屋大賞受賞『イン・ザ・メガチャーチ』との共通点
朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』が2026年の本屋大賞を受賞した。本作は「仕掛ける側」「のめり込む側」「以前のめり込んでいた側」の3人の視点から語られる物語で、その背景に「ファンダム経済」がある。朝井さんは本屋大賞のスピーチで、自身の作品『正欲』、『生殖記』、『イン・ザ・メガチャーチ』には共通のテーマがあると語っていた。それは「生きる推進力」。朝井さんは「生と死が隣同士に並んでいたとして、生の方を選び取る理由みたいなものを探りたくて書いた」と明かした。
そんな背景もありいざ『正欲』を読み返してみると、私はこの物語を読み終わった時から「多様性」という言葉を使うことが怖くなったのだということを思い出した。『正欲』は、息子が不登校になった検事・啓喜、初めての恋に気づいた女子大生・八重子、ある秘密を抱える契約社員・夏月など、視点が変わる物語で、彼らの人生がじわじわと重なり合う様を描いている。

◼︎自分の持っている「想像力」の拙さ
夏月はあるマイノリティの中で生きているが、同じマイノリティの人物と繋がることによって、この世に引き止められたと感じている。夏月たちが持つマイノリティは、私の想像外のマイノリティで、作品を読んだ時に「こういうものもあるのか」と驚いた。一方で八重子も、ある理由から「異性の目が怖い、気持ち悪い」という気持ちを持っていて、恋愛することができないと感じている。八重子の置かれている状況は、他の作品でも描かれることが少なくない状況でもあり、自分の想像力の範囲内にあった。どこかしらで「触れていた」状況だったため、わかる、という感覚があったのだ。
ここが、この物語の怖いポイントだ。私が八重子に対して「わかる」感覚があったのは、八重子のような人がいることを知っていたからだ。だから私はわかった気になって、それを「多様性」なんて表現してきた。例えば八重子が身近にいたとしても、「気持ち悪い」とは思わないし「いろんな人がいるよね」と思うだけだったと思う。LGBTQに関してもそうだ。ここ数年、ドラマや映画などで取り上げられ「世の中にはいろんな人がいますよ」と叫ばれていた。だから、今の世の中ではそれを「多様性」と呼ぶ。
しかし、夏月のマイノリティは、私の想像の中にないものだった。だからこそ驚くし、マジョリティを生きる啓喜はそれを理解できない。「そんなわけがない」と思っている。そしてある事件が起こり、その後に結末によって、私は自分の想像力の拙さに絶望した。理解しているフリをして、本当は世界のことを何もわかっていない。そんな、頭を殴られるような感覚が『正欲』には詰まっている。
終盤で八重子は、自分と違うマイノリティを生きている人との対話を試みる。しかし私は、「対話」や「わかろうとすること」が正しいことだとは、どうしても思えない。もちろん私も、大切な人のことはわかりたいと思う。私もそう考えていた時期があったし、相手が対話をしてくれないと寂しいと感じる時期もあった。例えば、私の親友は秘密主義だ。何かがあったとしてもリアルタイムでは絶対に教えてくれなくて、何年も経ってから「実はあのとき」と教えてくれることが多い。最初はそれを寂しいと思っていたが、今は違う。人生を重ねていくと、自分にも触れてほしくない場所が出現する。「すべてをさらけ出すこと」が「その人を知ること」「その人を救うこと」にはならないのだ。
人間は誰しも、多かれ少なかれ秘密を抱えている。それは私だってそうだ。自分が持っている想像力なんていうものは、実はあまりにも狭いもので、「知っていること」に関する想像力しか持ち合わせていない。この物語を読んで、私は「自分が知っていることは少ない」という想像力を嫌でも持たされた。読んでから何年経っても心がざわつく物語だった。
※読者さまへ
更新がずっと止まっていて申し訳ありません!noteを中心に書いていたのでいたのですが、ブックレビューはこちらでも再び再開しようと思います。どうぞよろしくお願いいたします!
そしてAmazonの埋め込みリンク、うまく表示されなくなりましたか…?どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいです…!





