本と映画と、少し寄り道

小説と映画の感想文をゆるゆると。

【読書感想】朝井リョウ『武道館』と現実のアイドルー儚さに価値を見出してしまう美しい残酷さ

甘いキャラメルポップコーンをお供に読んでいたら、体型維持のために茎わかめばかり食べているアイドルが出てきてさすがに手を止めた。朝井リョウさんの『武道館』は、女性アイドルグループ・NEXT YOUが主人公の物語だ。単行本が刊行されたのは2015年。今から10年前の作品だが、女性アイドルを取り巻く根っこの問題は現在でも変わっていないように思う。

 

◆『武道館』/朝井リョウが描く女性アイドルの世界

 

 

主人公は幼い頃からずっとアイドルに憧れていた愛子。彼女はオーディションを経て、NEXT YOUの第一期生となる。歌って踊ることが好きでファンのことも心から大事に思っている愛子には、大切な幼なじみ・大地がいた。愛子は自分の気持ちとアイドルとしての立場で揺れることになる。

 

実は私はこの物語を随分前に読んだことがあり、今回は再読だ。当時私は男性のアイドルしか応援しておらず、全体を読んでもどこか客観的に捉えていた。何年か経ち、私は今、女性アイドルのことも応援している。この物語を読んでいる最中、愛子が何かを悩むたびに、私は応援している女の子の顔が浮かんでしまって苦しくなった。

 

何がしんどいって、彼女もきっとどこかでいろんなことで揺れているはずだと感じたからだ。例えば、恋愛感情で好きになりそうな人が現れたときに自分の中で警戒するランプをつけたり、アイドルの自分がドラマに出演するときにドキドキしたり、SNSでの誹謗中傷を見たり。すぐ隣にある残酷さが彼女を傷つけることがあると、今は昔よりも想像ができるから。

 

◆10年経っても変わらない「恋愛禁止」の構造

 

女性アイドルは男性アイドルに比べて“賞味期限”が短い。どこの誰が決めたのかは不明だが、何年経ってもアイドル界の常識、むしろ世間の常識として「アイドルは恋愛禁止」ということがある。そのため女性アイドルはほとんどの場合、グループをやめてから(=アイドルをやめてから)表向きの恋愛や結婚をする。現役アイドル中に恋愛をしてバレる子もいれば、隠し通したままの子もいる。

 

男性アイドルもファンに夢を見させる存在だが、30代以降は結婚する人も少なくない。それでもアイドルとして活動を続けている。

 

一方、例外もあるが女性アイドルは至るところで「清楚さ」が強く求められる。ピアスの穴を開けたことだけでも少し悪い意味で話題になる世界だ。アイドル界は朝井さんが『武道館』を書いた10年前と多少変わっていることもあるし、「ももいろクローバーZ」など例外となるアイドルもいるが、根本の部分は変わらないように思う。

 

◆握手会で感じた彼女たちの素顔

 

愛子は、途中で大地への思いで揺れる。応援してくれているファンを裏切ってもいいのだろうか。メンバーを裏切ってもいいのだろうか。これまで続けてきた自分の歴史を裏切ってもいいのだろうか。

 

愛子のそんな揺れを読んでいたら、応援している女の子の握手会に行ったときのことを思い出した。そのとき私は彼女に「女の子のアイドルを応援するのは初めて」と伝えた。彼女は「今まではモデルさんとかを応援してたの?」と聞いてくれて、私は「今までは男の子のアイドルをメインに応援してたんだ」と答えた。

 

すると彼女は「えっ!?誰誰誰っ!?」と、まるで恋バナをするみたいに目を輝かせて、前のめりで質問してくれた。そのときは女友達のようにはしゃいで話した。

 

よく言われることではあるが、彼女はアイドルである前にひとりの女の子だ。恋をしていたとしても誰にも言えず、そのはしゃいだ気持ちを隠さなければいけない。もしかしたら恋になったかもしれない出会いを、自ら見送ってきたかもしれない。

 

愛子の姿を見ていたら、彼女が楽しそうに「誰!?」と聞いてきてくれた顔を思い出して苦しくなった。もちろんアイドルという職業を選んだのはアイドル自身だし、「職業アイドル」をまっとうする責任はある。

 

◆矛盾を抱えながら向き合うアイドル文化

 

「アイドルは恋愛禁止」。これは私たちが決めた価値観でもアイドルが決めた価値観でもなく、ずっと前からいつの間にか決まっていた価値観だ。その価値観がアップデートされないまま、長く世間に根付いている。恋をしたらアイドルではいられない。そんな物語はあまりにも切ないけれど、そこにまたひとつ「儚さ」が生まれてしまうことも事実だ。彼女たちが歌っているとき、踊っているとき。崩れない前髪、落ちないヘッドドレス、ひらひらと舞うフリルのスカート。アイドルでいられる時間は限られていると知っているから、そのひとつひとつが時に切なくて尊い

 

その価値観は、頭のどこかでは問題だと思いながらも、感情的にはその儚さに価値を見出してしまう自分がいる。この矛盾した気持ちこそが、現在のアイドル文化の複雑さを物語っている。

 

いつか、アイドルも恋愛・結婚をして当たり前だと受け入れられる世の中が来るのだろうか。今から10年後、どんな世界になっているのだろう。

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朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』感想|視野の広さと狭さ、信じる力について考える

読みながら背筋がぞわぞわする感覚を何度も味わった。それは、この物語の登場人物が、限りなく自分に近かったからだ。朝井リョウさんは、人間と世界の解像度が高すぎる。自分が思っているけどうまく言葉にできなかった感情が言葉になっていて、どこか痛くて、ときどき叫びだしたくなった。なんて物語を世に産み落としてくれたんだ、朝井リョウさん。

 

◆孤独を感じる中で出会った“信じるもの”『イン・ザ・メガチャーチ』/朝井リョウ

 

 

朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』は、主に3人の視点で語られる。40代後半のレコード会社勤務・慶彦、大学生の澄香、30代半ばの非正規社員・絢子。彼らはまったく違う価値観と生活でありながら、それぞれが人生になんらかの不安と不満を抱え、孤独を感じている。その孤独の中で“信じるもの”に出会い、人生が動き出していく。まずこの年代設定から絶妙だ。大学生、40代後半、30代半ば。どのタイミングでも、自分のこれからの人生に悩んだり、振り返ったりする年代だろう。

 

その中でも私が一番共感できたのは大学生の澄香だ。海外に興味があった澄香は留学制度のある大学に通っているが、内に閉じこもる性格でいろんなことを気にするタイプ。MBTI診断ではINFPで、友人とは表面上はうまくやっているが実際は勉強も友人関係もうまくいっていない。自信をなくしていたところに、同じINFPのこれからデビューするアイドルグループ「Bloome」の道哉に出会う。

 

それまでアイドルにはまったく興味のなかった澄香だったが、道哉の“INFPらしさ”に触れ、自分と同じだと共感。そこから熱量高く道哉を応援するようになる。澄香の人生に、道哉と一緒に歩む物語が加わったのだ。アイドルを応援する理由はさまざまだ。歌やダンスが好き、顔が好き、性格が好き…いろんな理由やきっかけがある。そのアイドルが人生をかけて描く物語が好きだという人もいるだろう。私もその一人だ。

 

◆冷静さを失うほどに惹かれる“誰かの物語”

 

私には4年ほど応援しているアイドルがいる。テレビに多く出るタイプのアイドルではなく、ステージを積み重ね、メンバーが減ったり増えたりしながらも必死に努力してきたアイドル。私は彼の顔や歌やダンスが特に好きというわけではなかった。彼が何度も口にする夢と、その夢を語るときの表情、悔し涙、メンバーのことが誰よりも好きなところ、寝る間も惜しんで配信などをしてファンとの時間を作ってくれるところ、つまり彼の描くアイドル人生とその物語自体に魅了されている。

 

この本でも描かれていることだが、人は物語に弱い。特に澄香のように自分の人生に悩んでいる人は、誰かの夢に自分をまるごと乗せてしまう。だからこそ彼らの売上が大事で、彼らの喜びは自分の喜びに直結する。澄香はCDを何枚も予約し、YouTubeの視聴回数を増やすことに必死になる。明らかに自分の力ではどうにもできない金額を彼らに注ぎ込む。澄香の行動ははっきり言って冷静ではないが、私はこのときの澄香の気持ちが痛いほどよくわかる。

 

私が応援しているのは接触ができるタイプのアイドルで、CDが発売されるたびに握手などの接触イベントがある。彼らが夢を叶えるためにはCDが売れなくてはいけないし、もっと話題になって世間に認知されなければいけない。その欲と「もっと会いたい」という思いが重なって、気がつけばカードの請求額はどんどん膨らんだ。

 

今は彼らも人気が出て、接触イベントの頻度が減り、スタイルが変わり、私は以前よりは彼らと距離を取れている。それがいいことなのかよくないことなのかはわからない。

 

振り返ってみると、この4年間はものすごく楽しかったけれど、自分が自分じゃないような感覚も少しだけあった。澄香の行動を見ていると、そのときの自分が嫌でも思い起こされる。自分が冷静ではなかったことを客観視する時間は、胸がじわじわと冷たいものに侵食されるような感じがして痛むのだ。

 

◆広い視野から狭い視野へシフトチェンジする行動

 

澄香はもともと、“広い視野”をほぼ強制される環境にいた。直接的には自分に関係のないことでも深く広く考え、生活の隣に置く必要があった。例えば環境問題や、どこか他の国で起こっていることについてだ。もちろんそれは生活に何も関係ないとは言えないし、ひとりひとりが意識することで良い方向に変わることもあると思う。しかし、広い視野でばかり24時間365日生きているのは、正直疲れる。

 

この本を読むまでは、私も視野は広ければ広いほどいいことだと思っていた。視野が広ければいろんな人が抱えている問題に気づけるし、世界の解像度が上がる。視野を広げるために読書をしている面もある。しかし、この本には“広い視野”と“狭い視野”、それぞれの危険性も描かれている。

 

広い視野は世界を知る意味で大切なことだが、ときに息苦しくもある。見えすぎることで傷つくこともあり、生きづらくなることもある。例えば「世界にはもっと苦しい思いをしている人がいる。私なんて幸せな方だ」と考えて、本当は限界が来ているのに我慢をしてしまう、といったようなことだ。限界は人によって違うし、環境だってひとりひとり違うはずなのに。

 

澄香は広い視野から狭い視野にシフトチェンジすることで心が救われている。道哉に出会い、道哉のファンに出会い、自分の居場所ができた。自分にとって柔らかで甘ったるい世界で生きることや、狭い世界で強く信じるものがあることはときに大切で、自分を強くしてくれる。何かを信じるという力は、とてつもなく強いエネルギーになる。

 

自分的に辛い環境で生きている澄香にとって、視野を狭めることは世界を圧縮することで、心を守る鎧でもあった。ただ、狭い視野はもちろん危険も孕んでいる。狭すぎて周りが見えないことで、周りを傷つけてしまうこともあるし、澄香や過去の私のように自分をすり減らしてしまうこともある。

 

一番いいのは、物事に応じて視野の広さを切り替えられることだと思うが、人間はそんなにうまくできていない。特に視野が狭くなっている人間は、その世界に夢中になる。狭い世界は中毒性のある麻薬のようなものかもしれない。そこから抜け出すのは勇気もきっかけも必要だ。

 

◆誰かの“くだらない”も誰かの“信じる”

 

この物語では、三人それぞれの“信じるもの”が描かれる。誰かにとってはくだらなく馬鹿げたことでも、他の誰かにとっては人生をかけるほど大切なことがある。三人は信じるものの存在によって孤独から逃れ、逆に信じるものの存在で孤独にもなる。

 

ラストには慶彦がある答えにたどり着くのだが、私はそれをどうしても正解の答えだと思えない。しかしこれは、読者の経験によっても意見が分かれるところだと思う。物語も、受け取り手によってその感想ががらりと変わる。この読書で経験した、ぞわっとするような恥ずかしいような感覚は、おそらくずっと私の心に残り続けるだろう。

 

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太宰治『女生徒』感想|少女の自由な思考が見せてくれる“日常の物語”

太宰治の文学を読めば読むほど、太宰治という人間がわからない。ただ、人間を観察する力と時代を読む力が凄まじいことだけはわかる。絶望に打ちひしがれるような気持ちになったり、5月の風を浴びたときのようにさわやかな気分になったり、夏が終わり秋の風を感じたときのように寂しくなったり、太宰治が紡ぐ文章は、幸福も絶望も味あわせてくれる。

 

86年前、一人の少女の一日の心の動きを丁寧に描いた小説が発表された。太宰治の『女生徒』は、思考の自由さと感情の豊かさ、思春期特有の揺れを、丁寧に描いた作品だ。

 

 

◆ある少女の一日を描いた物語『女生徒』/太宰治

 

この物語は、少女が朝目を覚ましたところから始まる。その後は、ただただ少女の一日が少女目線で描かれる。電車に乗って人間観察をし、自分ではどうしようもできない社会や本能で進んでいく人生に絶望したかと思えば、電車を降りるとそんなことはさっぱり忘れる。母親のことは嫌いじゃないけど、なんとなくムカつく。でも本当は大切にしたい。早くに死んでしまったお父さんが恋しい、嫁に行ってしまった姉にもう甘えられなくて寂しい。心は子どもなのに身体だけ成長して、大人になるのが怖い。私はこれからどうなるんだろう、何かになれるのだろうか。

 

そんなことがつらつらと書かれているのだ。物語としては何も起きていないように見える。少女が一日の中で頭の中で考えていることが文章になっている。つまり太宰治は、少女を取り巻く「出来事」ではなく「思考」を書いたのだ。

 

よく、誰かの日記を盗み見している気分になる小説がある。しかし本作は日記どころか、頭の中そのものを覗いたような気持ちになる作品だ。

 

◆自由な思考を取り戻す

 

とにかく主人公の少女は、頭の中で考え事ばかりしている。その考えは定まっておらず、いろんなところへ飛んでいく。周りの人を見てマイナスな気持ちになっていたかと思えば、自然に触れるとその気持ちはすぐにプラスに変わる。一貫性なんてまるでなくて、彼女の頭の中はなんて自由なのだろうと思う。

 

そもそも人間の思考は自由なものだ。大人になればなるほど経験が邪魔をしてその思考は凝り固まる。やってみたいことを思いついても「そんなバカなことできるわけない」と自分で自分を否定してしまうこともあるだろう。大人になると、思考も臆病になってしまう。

 

この少女の思考は、どこまでも自由だ。自由で瑞々しくて、たとえそれがマイナスの考えだとしてもキラキラと輝いて見える。読み手からすると彼女の一日に特別なことは起こっていない。

 

しかしこの少女の中では、朝起きたときの自分の顔を嫌だと思い、父のことを恋しく思い、母のことをやっぱり大切にしようと思い、大人になることが怖いと思う。さまざまなことが頭の中を駆け巡っている。少女の中では立派な物語ができている。他の誰でもない“自分”という物語だ。

 

彼女のように自由な思考を取り戻すことは、一歩踏み出す勇気をくれる。どんなにすごい技術でも、まずは「発想」がなければそれは生まれない。何かを成し遂げている人には遊び心があって、突拍子もないことを思いつくという柔軟な思考がある。AIが私たちの生活の一部になることを想像した人がいるから今があるのだ。

 

◆日常こそ物語

 

本作は1939年雑誌『文學界』で発表された。まさに戦時中、日本が日中戦争を拡大し、第二次世界大戦へと向かう時期で、明るいとはいえない時代だろう。新聞やラジオの力もあり、戦時色が濃い社会で、国家的な一体感が求められた時代だ。言論統制も非常に厳しく行われてきた。

 

その時代にここまで細やかな、読者からすれば「何も起きない」小説を描いた太宰。物語は人を救うことがある。混沌とした時代に何も起きない、少女の自由な思考を描いたこの物語は、どれだけ人の心を掴んだだろうか。『女生徒』は、日本が戦争に向かう言論統制下において時代の流れから少し距離を置いた稀有な小説でもある。たった一人の少女の、たった一日。物語は一日に圧縮されているのに、その物語から広がる思考は限りなく自由で広い。

 

私たちは時代を「時代」として捉えてしまう。その大きな渦の中にも、必ず人がいて、ひとりひとりの人生があった。『女生徒』という作品は、一人の人間のたった一日でも、そこに物語があることを教えてくれる。歴史の教科書に載るのは節目となる大きな出来事でも、その時代を生きた人々には毎日感情の揺れがあり、日常があり、温度がある。

 

私の一日も、あなたの一日も、朝からの出来事や考えたことを書き出してみると、きっと多くのことをしているし考えているはずだ。誰の人生だって、物語の一部。『女生徒』は、なにげない日常の価値や自由な発想の価値を再発見させてくれる一冊だ。思春期を遠く離れた読者にも、その時期特有の瑞々しい感性を思い出させる力がある。

 

 

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【読書感想】綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』|“明るすぎる闇”をまとう私たち

綿矢りささんの小説はどうしてこんなにも胸がドキドキするのだろう。軽快でキレキレの文章の中に潜む毒と皮肉、そしてあっけらかんとした感情。そのすべてがいつも“ベストマッチ”だ。今回読んだ『嫌いなら呼ぶなよ』は、公式ホームページによると「明るすぎる闇」に迫る短編集。整形を繰り返す女性や不倫を繰り返す男性、YouTuberのオタク、作家とライターの間で揺れる編集者が主人公だ。この物語は、“そこらへんにいる人”が主人公。スカッとする話ばかりではないが、あまりにも主人公たちの胸の中を映し出しているこの物語は、単純におもしろくて気持ちがいい。まるでジェットコースターに乗ったような読後感だ。

 

 

◆整形を繰り返す女性の“明るすぎる闇”

 

この4篇に共通しているのは「コロナ禍」であるということ。コロナ禍を描いた小説は何冊か読んできたが、その中でも一番明るい作品だった。しかし、ただ明るいだけではなく、主人公たちにはどこかしら危ういところがある。それは性格だったり行動だったり言動だったりさまざまだが、何かがおかしい。まさしく「明るい闇」という表現がぴったりだ。今回はその中でも印象的だった作品『眼帯のミニーマウス』を紹介したい。

 

プチ整形を繰り返す女性・りなが主人公の『眼帯のミニーマウス』は、「自分が良いと思えば他人からの目は関係ない」という明るさと、「理想の自分になりたい」というある種の闇が描かれている。10年も前であれば、整形はひそひそと噂話をされるようなものだった。「あの芸能人整形らしい」とか「あの鼻、いかにも整形鼻」とか、どちらかというと「整形=悪」というように話されていた時代。しかし現在は、整形が当たり前のことのように世間に受け入れられている。「整形=善」とはなっていないと思うが、芸能人でも整形を公表している人がいたり、SNSではおすすめのクリニックや整形方法などを呟いている人をすぐに見つけられる。

 

そんな時代に生きるりなは、昔からかわいいものが好きだった。母親が作ったフリフリのドレスを着ていたが、誘拐されそうになったことがきっかけで家族からかわいらしい服を着ることを反対され、地味な服を着るようになる。高校生で原宿に出会って好きな服を着るようになり、大学ではインスタグラムを開設し、初めての整形をする。社会人になってもりなの心はかわいいものにとらわれたままだ。

 

りなは“自分モテ”を狙っていて、「自分が気に入るのが一番」と信条を掲げている。あるとき、りなの軽い一言をきっかけに会社でりなは整形しているという噂が広まる。誰に何を言われても自分のモットーを曲げなかったりなだが、最後に気づく。マスクやダウンタイムのときの包帯姿が一番心地いいことに。顔中に包帯をしていると、とにかく目立つ。目立ちはするが、いじってくる人はおらず、おそらく“無敵”の自分になれる。

 

◆自分の理想を追いかけ続ける苦しさと鎧

 

コロナ禍のときには「マスク美人」という言葉も流行した。私もおそらくは「マスク美人」の方で、マスクを取るとがっかりされることが多い。自分でも鏡を見ていて思う。顔面上部と下部が、なんだかマッチしないのだ。なんとなく合わないパズルのピースのように見える。私たちはきっと「この上部だったらこの下部だろう」というふうに、勝手に顔のパーツや身体をマッチングさせている。だからこそ理想を抱き、理想を追いかけてしまう。

 

「ありのままの自分が一番好き」と心から思える人は世界にどのくらいいるのだろう。りなの整形は、ある種の“鎧”だった。自分を守るための、自分を表現するための、鎧。だから自分の好きな見た目に近づけて、ダイエットもして、努力をする。自分が好きな自分でいるために。それは現代のSNSにも通じるものがある。キラキラした部分を切り取って、充実している自分を見せる、鎧。誰もが自分の理想とする自分でいたいのだ、例えそれが小さな画面の中だけだったとしても。

 

りなが最後に気づいた「包帯姿が心地いい」という考えは、パラドックスだ。包帯で顔をぐるぐる巻きに隠してしまえば、目立つし、隠れているからアップデートしなくて済む。皮肉なことに、顔を隠すことで強くなれるのだ。「こうなりたい」という願望は、生きている限り際限がない。

 

こう書いていると暗いグロテスクな話のように感じるが、決してそうではない。綿矢さんの書く文章は軽快で、りな自身も基本は明るい。私が思う綿矢さんの物語の魅力は「主人公に嘘がないこと」だ。主人公が何を考えているかわからない、ということはほぼない。それは主人公が私たちに感情をすべて見せてくれるから。共感することができなかったとしても、主人公の気持ちをリアルタイムで感じることができる。

 

綿矢さんの描く「明るすぎる闇」は、思ったよりも心を抉る。この4篇の主人公たちは私であり、友人であり、家族でもある。誰もがきっと、どこかに闇を抱えている。誰かに「この人おかしい」と思われている部分だってきっとある。人が抱えている小さな闇をきめ細やかに言語化したような味わいの物語だった。

 

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推し活のリアルを描くおすすめ5冊|キラキラだけじゃない「推す」ことの物語

自分に大切な推しがいるからか、「アイドル」を題材にした話にとても弱い。2025年、世間は空前の推し活ブームだ。過去には「キモい」と揶揄されていた「オタク」は変化を遂げ、いつの間にか「推し活」がキラキラとしたムーブになっている。しかし、その状況に少なからず居心地の悪さを感じている人もいるのではないだろうか。まさしく私がそうだ。

 

「推す」とは、そんなにキラキラしたものではない。

 

文字にすると本末転倒、という感じだが、推しに会うために自分にかけるお金を削って、4,000円のファンデーションを買うことも悩み、疲労困憊でも仕事をガンガン入れる。

 

その最中に何度も「もうやめようかな…」と思うターンが来る。しかし、推しに会えばすべてが吹っ飛ぶ。生産性があるようでまったくない。でも仕方ない。好きなんだから。そんな綱渡りの状態をもう何年続けてきただろう。虚しさとうれしさを繰り返しながら生きている私たちと、ただただ楽しい活動を「推し活」という言葉でまとめられるのは何かが違う。

 

今回の記事ではそんなモヤモヤを抱えながらもおすすめしたい「アイドル」をテーマにした5冊を紹介する。推すことは楽しいだけじゃない。そんなヒリヒリした痛みと、少しの救いが描かれている本たちだ。

 

◆『愛じゃないならこれは何』/斜線堂有紀

 

 

恋愛をテーマにした6篇の短編集で、その中の『ミニカーだって一生推してろ』は28歳の地下アイドルが主役の物語。地下アイドルの赤羽瑠璃は、いつからかある一人のファンのアカウントをチェックするようになる。ファンは純粋に瑠璃のことを推し、瑠璃はそんなファンの好意を受け取って励みにしていた。アイドルとファンは、あまりにも際どい線引きの中で生きている。どちらかが壊れればその関係性は終わってしまう。そんなことを突きつけられた物語だった。

 

もちろん他の話も切り口が斬新でおもしろい。痛くて苦しいのにもっと読みたい、片思いのような読書体験ができる本。

 

◆『アイドルだった君へ』/小林早代子

 

 

すべてに「アイドル」が関連している5篇の短編集。その中でも『寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ』は、まさしくアイドルを推しているファン目線の話で共感が持てる。最初に書いたように、アイドルを推す、と一言で言っても、そのスタンスはひとりひとり違うものだ。その核の部分というか、オタク同士の精神論のようなものが描かれている話で、本気でアイドルを推したことがある人は胸が潰されるような気持ちになると思う。

 

アイドルとファンの関係性や儚さを実感して、心がしくしくするような物語。それでも読むのがやめられないのは、この物語の主人公たちの思いにやっぱり共感してしまうからだ。

 

◆『スターゲイザー』/佐原ひかり

 

 

打って変わってアイドル目線のさわやかな青春物語!自分はアイドルではないのにものすごく“リアル”を感じてしまい、今の推しどころか今までの推しすべての顔が頭に浮かんだ。おそらく、がんばっていない人はいないし、悩んでいない人はいない。推しと出会えたことがどれだけの奇跡なんだと考え、今まで以上に推しを大切にしたいと思う物語だ。この物語はどちらかというと“陽”の感情が生まれる。デビューを目指す登場人物たちが生き生きとしていて、彼らが歌って踊るステージを実際に見てみたいとまで思う。続編を強く希望してしまう物語。

 

番外編

 

◆『コンビニエンス・ラブ』/吉川トリコ

 

 

あらすじでさえネタバレになりそうで何も書けないので番外編として紹介。とにかく楽しい恋愛小説。最後に「おぉ…」と声が漏れてしまう展開が待っていて、違和感を持ち続けながら読む読書体験がものすごくおもしろかった。かなり薄い本で一気に読めるので、なんとなく息抜きしたいときに読むのがおすすめ。“恋愛消費小説”というキャッチフレーズがついていて、まさしくぴったり。

 

◆『ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。』/最果タヒ

 

 

最果タヒさんが、自身の推しへの気持ちをつづったエッセイ。ものすごく素敵で長い、人が書いたラブレターを読んでいるような気持ちになるエッセイで、誰かを深く好きになった人には必ず響く。読んでいると共感しすぎてヒリヒリしてしまい、かなりゆっくりと読んだ。装丁も素敵で内容も素晴らしかったので、本棚の目立つ場所に飾っているほどお気に入りのエッセイ。キラキラした部分だけではなく、推す上の葛藤も素直につづっていて、「わかる…」とうなりながら読んだ。



『アイドル』テーマの小説は今や数多くあるが、その本を読むたびに思うことがある。『アイドル』は、もちろん現実を生きているが、存在そのものがまるで物語のようだ。『ファン』はその物語の登場人物のひとりで、その物語には膨大な登場人物がいて思いがある。だからこそ私は、彼らの物語に期待してしまうし、どんなにモブキャラでもその物語の登場人物でい続けたくなってしまうのだ。

 

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【実写化】早見和真『ザ・ロイヤルファミリー』感想 競馬を知らなくても夢中になれる“大人の青春”

早見和真さんの小説は、いつも私を知らない世界に連れて行ってくれる。死刑を宣告された女性を巡る物語『イノセント・デイズ』での出会いをきっかけに、随分といろいろな世界を見させてもらったと思う。そのどれもが強烈に胸に残っているが、『ザ・ロイヤルファミリー』は、私に“大人の青春”を見せてくれた。馬主と彼を取り巻く人々、そして馬。この物語には、抱えることができないほどの夢とロマンが詰まっている。

 

 

◆『ザ・ロイヤルファミリー』早見和真 競馬を知らなくても夢中になれる理由

 

この物語の語り手は、ひょんなことから人材派遣会社の社長の秘書となった栗須栄治。社長・山王耕造は競馬に熱中している馬主だった。彼らは、自分たちが出会った運命的な馬たちの勝利を求め、有馬記念を目指す。

 

実はこの物語、何度か本屋で手に取って購入することをやめている。あらすじを読んで「競馬の話かぁ」と思い、競馬に興味もなければ知識もない私には難しい話だろうと思っていた。そんなとき、日曜劇場で実写化するというニュースが飛び込んできた。実写化が決まってからというものの、本屋に行くと今まで以上にこの本と目が合う。ここまで気になるなら読んでみよう、と自分の直感を信じて、読んでみることにした。

 

本作は1部と2部で構成されており、1部は栗須と山王、そして「ロイヤルホープという馬の話がメインで繰り広げられる。競馬知識ゼロで読んでいたため、もちろん多少わからない部分はあったが、わからなくてもストーリーはわかるし、熱さも伝わる。このあたりは実写で補完しようとも思いながら読んでいくと、どんどんのめり込んでいった。

 

◆“人間らしさ”にあふれる登場人物の魅力

 

物語に夢中になれるかどうかは、その登場人物にかかっていると思う傾向がある。好き嫌いの話ではなく、彼らの行動や気持ちに納得できるものがあるか、納得できなくても惹かれるものがあるか。彼らになんらかの感情を抱くことができるか。

 

この物語の登場人物は、すべてが愛しい。ワンマンで我儘な山王社長は、秘書・栗須の視点で語られることによって愛しく思えるし、人だけではなく馬まで愛しい。実写で見ているわけでもないのに、その愛くるしさが栗須の視点を通して伝わってくる。また、本作は栗須目線の「ですます調」で書かれている。秘書という立場もあり、栗須は基本的に冷静なため、栗須目線でもどこか客観的に物語を理解することができる。たまに栗須が感情的になるときは、よっぽどのことが起こっているわけで、その場面は心が震える。

 

1部では山王社長の家族の秘密も描かれるが、1部の終盤では涙を堪えるのに苦労した。電車で読んでいることが多かったため、目を見開いて瞬きをなるべくしないように読んでいた。周りから見ると怖い顔だっただろうと思う。そして全体の半分の1部を読み終わった頃には、競馬のロマンと夢を感じ、何よりもその背後にいる人々や馬たちへの敬意が湧いた。競馬というと「ギャンブル」という言葉が浮かぶ人も少なくないだろう。私もその一人だった。しかし、すべての物事の後ろには人がいて、愛情がある。知識がないだけでその気持ちを想像できなかったのは、反省すべき点だと感じた。

 

◆受け継がれる「血」が物語に深みを与える

 

本作は、人間と競走馬の20年にわたる壮大な物語として描かれており、「継承」というテーマもある。2部では「継承」の面が深く描かれる。2部の主役はなんといっても山王の息子・耕一と、ロイヤルホープの息子・ロイヤルファミリー。耕一はある制度を使って馬主となるが、耕一とロイヤルファミリーはとてつもなく重いものを背負っている。それは“血”だ。馬の世界で「血」は重要なものであり、その重さを馬主にも背負わせている2部は、読みながら心臓がずっとバクバクしていた。ここは物語の肝で、クライマックスでもあるので、彼らの未来をぜひ自分の目で確かめてほしい。

 

ラストシーン、そしてラストページの美しさといったらない。ここまで美しいラストシーンに出会えることは、稀だと感じるほどだった。少し大げさに聞こえるかもしれないが、本心でそう思う。この物語は2025年の私のベスト本に入るだろう。

 

1部を読み終わった頃から、私は競馬に興味を持ち、Xで情報収集をするようになった。そんな折に、Xのトレンドに「ハルウララ」という言葉を見つけた。本作を読んでいたということもあり、きっと馬の名前だと感じてクリックしてみると、かつて「負け組の星」として人気を博した競走馬「ハルウララ」が29歳で永眠したというニュースだった。

 

正直くわしくは知らなかったが、彼女を悼む声を読んでいるだけで胸に迫るものがあった。彼女は引退するまで一度も勝つことができなかったが、負けても負けても走り続ける姿が話題となり、アイドル化したのだという。このタイミングで出会ったそのニュースに、私はどこか運命的なものを感じてしまった。この物語に出会っていなければ、気にもとめないニュースだった。

 

◆人生を豊かにする「物語」の力

 

本作では、馬に対する愛情はもちろん、栗須や耕一が罪悪感やエゴに悩む気持ちも描かれている。故障した馬がどうなるか、結果を出せずに引退した馬がどうなるか。競馬が虐待だという意見があることもこの物語をきっかけに知り、深く考えるきっかけにもなった。

 

このようなことに直面するたびに、世の中は自分が思っているよりも知らないことばかりだと強く思う。人生には限りがある。頭に描いたことをすべて経験するのは難しいし、この世の中にある知識をすべて手に入れるなんて到底できない。だからこそ、私にとっての物語の世界は大切で、強い。知らない世界を経験させてくれる物語に出会うと、心が動く。この物語では、大人の青春を存分に経験させてもらった。

 

そんな本作は2025年10月期の日曜劇場で実写化する。栗須を妻夫木聡、山王社長を佐藤浩市が演じるが、原作を読んでからキャストを見て心の中でガッツポーズをした。そして演出は塚原あゆ子というではないか。先日発表された目黒蓮の役柄はまだ明かされていないが、絶対にこの人だと思う人がいる。絶対にハマり役だと確信してしまい、なぜだか少し悔しい気持ちにもなった。頭で描いていた世界が、おそらく完璧に近い形で実写化されると思ったからだ。

 

物語を通して、映像を通して、私は違う世界を経験する。大人の青春を映像でもう一度味わえるなんて、今からワクワクが止まらない。

夏目漱石『こころ』感想とあらすじ|先生の遺書に描かれた恋と後悔

1914年に書かれた夏目漱石の『こころ』。私がこの物語に触れたのは、高校生の頃だ。国語の教科書に載っていて、記憶には残っているものの、それほど心に響く物語だとは思わなかった。しかし、改めて全編読んでみるとどうだろう。今から約111年前に書かれた物語なのに、どこか共感する部分がある。人間は「恋」という大きな魔物を目の前にすると、自分の黒い部分がむき出しになってしまう。それは現在でも過去でも変わらないことだ。

 

◆『こころ』の前半と後半の違い|物語が加速する先生の遺書

 

 

『こころ』といえば、『先生の遺書』があまりにも有名だ。国語の教科書にもその部分が掲載されていたが、実はこの物語は先生の他にもうひとり注目すべき人物がいる。前半はその人物・『私』の目線で語られ、物語は『私』と『先生』の出会いから始まる。二人は海で出会い、『私』は『先生』のことが気になって仕方なくなる。二人の出会いのシーンは、夏や海の表現も手伝ってかなりさわやかで、これからキラキラの青春物語が始まるのでは…と楽しい期待をしてしまうくらいだ。

 

序盤はかなりゆっくり展開していくため、前半で読むのをあきらめてしまう人も多いかもしれない。しかし、前半さえ乗り切って中盤に差し掛かると、物語が一気に進む。それは非常にセンセーショナルだ。故郷に帰っていた『私』の父が危篤になったとき、先生から『私』のもとに手紙が届く。そのタイミングで!?とこちらも驚くが、それは先生の遺書だった。『私』は、父親にどうか持ってくれと願いながら汽車に飛び乗り、先生の元へ急ぐ。

 

そして後半は、『私』が出てくることはなく、すべて先生の遺書だ。そこには先生の過去と後悔が長く長くつづられていた。前半で私たち読み手は、先生のことが何もわからない。『私』と親交を深めているのに、どこかミステリアスで、全然心の核心に触れられない。絶対に何か秘密を隠しているのに、それが全然暴かれない。

 

それは私達が『私』を通して先生を見ているからだ。これは夏目漱石が仕掛けた大きな仕掛けともいえよう。前半の物語の進みの遅さはここで効果を発揮する。『私』の父の命が危うくなる中盤から先生の遺書が届くことをきっかけに、物語は一気に加速する。この緩急をつけた構造が『こころ』の魅力のひとつでもある。

 

◆先生の遺書に描かれる恋と後悔|人間の本質は変わらない

 

『先生の遺書』には、恋と友情に揺れる先生の過去が書かれていた。先生は下宿先のお嬢さんに恋をしていた。お嬢さんの母親とも関係は良好で、三人の暮らしは穏やかで幸せそうだった。しかしそこで先生は自分の親友・Kを下宿先に連れてくる。自分のライバルになるかもしれない第三者を招く意味はなんなのだろう、と正直思ったのだが、それは先生がKを信じていたというか、過信していたからだ。Kは恋なんてするはずがない、と。しかし、先生の予想は大きく外れ、Kもお嬢さんに恋をしてしまう。しかも、先生がKにお嬢さんへの気持ちを明かす前に、先生はKの気持ちを聞いてしまった。

 

ここで先生がした行動は、読んでいても胸がざわざわした。先生の行動を疑問に思ってしまうのは、私が当事者ではなく、冷静にこの物語を読んでいるからだ。恋を目の前にすると、しかもそれが欲しくてたまらない恋だと、人の理性は簡単に吹っ飛ぶ。恋はあまりに情熱的で、時に理屈や常識を上回ってしまう。その経験は、恋をしたことがある人なら多かれ少なかれあるものだろう。先生は自分の行動により、長い間後悔に苛まれることになる。黒い影をどこかに背負いながら生きていくことになる。

 

心に刻まれた傷や後悔は、時間が解決してくれることはあっても、綺麗に消えるものではない。その衝撃が大きければ大きいほど、心に深く刻まれ、トラウマレベルの出来事になる。先生の遺書を読んでいると、ただただ延々と後悔をつづっている印象もあるのだが、そうやって吐き出さないといけない、自分のしてきた一挙一動を、感じたすべてを、その後悔を伝えなければならないという熱量を感じた。

 

ラストでぞっとしたのは、その後の『私』の心情がまったく描かれていないことだ。この重たすぎる遺書を受け取って、『私』はどう感じたのだろう。遺された先生の妻を見て、どう思うのだろう。先生の遺書のターンが終わって物語が幕を閉じると、再び物語が『読み手』目線に映る。やはり『読み手』は『私』なのだ。夏目漱石の作った、心にずん、と響く読後感に、ただただ圧倒されてしまう。

 

約111年前に描かれた、恋を目の前にした人間の愚かさと、無力さ。時代や文化は現在とまるで違うが、人間の『こころ』の本質は変わらないのだと痛感する。夏目漱石太宰治、過去の文豪たちが残してくれた文章たちは、陰鬱なものも多いが、「この気持ちは私だけが抱えているのではない」と慰めてくれるものでもある。何年も前の物語でも、いつでも私たちの心の近くにいてくれるのだ。

 

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