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【読書感想】小林早代子『アイドルだった君へ』あなたにとって“推し”はどういう存在ですか?

あなたには、推しがいるだろうか。「推し」という言葉はいまやかなり便利な言葉になり、相手がアイドルではなくても、それこそ物でも「推し」という言葉を使うことがある。『舟を編む』で読んだ、言葉が成長するということを思い出す。

 

 

小林早代子『アイドルだった君へ』あらすじ

アイドルになりたくて仕方がなかったあたしとアイドルに憧れたことのない相方、元アイドルの母親のせいで注目される子供たち、親友の推しに顔を似せていく女子大生。アイドルは色んなものを覆い隠して、私たちに微笑みかけてくる。曖昧に乱暴に過ぎていく毎日に推しがいてくれてよかった。「女による女のためのR-18文学賞」読者賞受賞作を含む珠玉の短編集。『くたばれ地下アイドル』改題。(新潮社HPより引用)

 

かわいらしい装丁と、『アイドルだった君へ』という惹かれるしかないタイトルで何気なく手に取った本。読み終わった後に、推しをホーム画面にしているスマホを見て泣くとは思わなかった。

 

本作は、5篇の短編集で、タイトルの通りすべて「アイドル」が関連している。地下アイドルとクラスメイトの女の子、正反対な二人組のアイドル、元アイドルの子どもたち、親友がアイドルにハマり、その推しを研究していく女の子、そしてアイドルを推している女の子と男の子の話たち。ファンがいればファンの数だけ推しがいる。視点を変えれば、彼・彼女の姿は変わっていく。

オタク同士が語れば精神論になるよね

話したいことは山のようにあるけども、一番響いてしまったのは最後の『寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ』。論文のタイトルみたいだけど、アイドルを推している女の子が主人公なため、やっぱり一番自分に近くて感情移入して、これを読み終わった後に推しの顔を見て泣いた。君がアイドルに誇りを持って10年も続けていることが尊いよ。

 

「アイドルを推す」って、一言で言っても、ひとりひとりスタンスが違う。惜しみなくお金を使う人もいれば、それこそアイドルを「消費」だと思っている人もいる。『寄る辺なくはない私たちの日常にアイドルがあるということ』で、ちさぱい(主人公)が「私にとってゆんちって一体なんだろう」と考える場面がある。ゆんちは彼女の推しで、CDデビューを目指す研究生だ。

 

ちさぱいは、推しにお金を落とさないオタクだ。部屋に物が増えるのが嫌だという理由でグッズなどは買わないし、YouTubeや無料コンテンツで十分楽しめると思っている。ある日、神谷という男オタクに出会い(神谷は女の子のアイドルを推している)、語り合う中で神谷から「アイドルに不誠実だ」と言われる。ただし、ちさぱいはお金は落とさないけど推しの恋愛などには寛容だ。一方、神谷は推しにお金は落とすけど、推しには一生結婚してほしくないと思っているし、一生アイドルを続けてほしいと思っている。一体どちらが不誠実なのだろうか、とちさぱいは考える。正反対の推し方をしている二人だ。

 

この二人がいい感じになり、恋愛関係になる…という展開にはまったくならず、なんだかオタク同士の精神論を読んでいる気分にもなったんだけど、これがもう響きまくってしまった。まあオタク同士が語ればいつだって哲学みたいになるよね。なぜなら、ちさぱいは私であり、神谷も私であるからだ。ちさぱいはある日、ゆんちのアンチアカウントを見つけ、自分で思っている以上にショックを受ける。ちさぱいは、アイドルに振り回されたくないと思いながら、そのことでガラガラと崩れていく自分にショックを受ける。

 

この場面を見て、ものすごく心当たりがあった。私には、今の推しではないがずっと推していたアイドルがいる。そのアイドルが、2024年、電撃結婚した。最優先する推しはもう違っていたし、彼も本当にいい歳だったし、そのときは驚いたけど心から祝福した。あ〜やっぱり私結婚とかOKなんだなぁ、幸せになってほしいなぁ、と思っていた。

 

しかしだ。年末、彼らのコンサートに行って、好きになったときの曲を歌って踊っている姿を見たら、自分でもわけがわからないくらいに涙が出て、辛かった。もう二度とあのときの彼は戻ってこないのか、ということをものすごく実感して、頭をガツーン!と叩かれた気分だった。ショックだった。好きな人の幸せを喜べると思ったのに、これで自分が傷つくことがものすごく嫌で、本当にショックだった。もちろん彼のことを嫌いになんてなっていないし、今もちゃんと幸せでいてくれとは思っている。でも、相反する感情が、間違いなく私の中にある。ちさぱいも私、神谷も私なのだ。

 

アイドルとファンという関係は、アイドルとファンでしかない。友達でもないし、本当にただの他人だ。私はアイドルを応援する上で、そのことを何度も何度も何度も頭に繰り返してきた。でも、他人だけど、もちろん他人だけど、知り合いですらないけど、絶対的に毎日何かしらの形で、自分の人生に存在している。私の人生が終わるとき、人生を振り返れば絶対に外せない登場人物は、私が推している彼だし、私が推してきた彼たちだ。時に虚しさも感じるけど、それがすべてだ。

 

会うためにがんばろうと思うし、会うために仕事をしてお金を稼ごうと思う。でもたぶん、こんな気持ちは、アイドル側は知らなくていい。ファンがいればファンがいるだけ、その人にとっての人物像があって、ストーリーがあって、推し方がある。思い出もある、記憶もある。面倒くさい考え方だって絶対にある。でもこんな思いは、祈りは、別に直接届かなくてもよくて、ただ毎日応援している人がいるというざっくりとした事実だけが届けばいいな、とも思う。 SNSなんてアイドルは見てくれるな、と結構本気で思う。

 

話を戻そう。この本は、あまりさわやかさはない。読後感がいいかと言われるとそうでもない。なんとなくじゃりじゃりして、ヒリヒリはしないけどざらりとする。でもそれは、私が実際にアイドルを推していて、アイドルを推している友達も多いからかもしれない。そしてそれでも私は、このリアルな気持ちを煮詰めて書き出したみたいな文章の数々が大好きだ。ここまでリアルに推しに対しての気持ちを言語化できるってすごい。推しがいない人は、この本をどう読み解くのだろうか。ぜひ教えてほしい、心から教えてほしい。

 

この感情のままに垂れ流す文章、はてなブログ!って感じがする(はてなブログをなんだと)。次に読むのは『推しの殺人』という本だ。いつかアイドル絡みの本たちのまとめ記事を書きたい。