今日の帰り道、近所で男性同士が恋人繋ぎをして親密そうに話している場面を見かけた。少し前…といっても10年ほど前だったら、驚いたかもしれない。しかし私は今日、大して驚くこともなく、彼らの前を通り過ぎた。ただ、こうやってブログの冒頭に書いているということは、おそらく自分の中でその光景が“完全”に自然なことではなかったということ。彼らに対して偏見はない。これはもう、本当に言い切れる。しかしこうやって文章にしているということは、やはりマイノリティを感じているからだと思う。
だが、それはそれでいいと思う節もある。彼らと話をしたわけではないので、彼らがどう思っているかはわからないけれど、「マイノリティだと感じてはいけない」と思うこと自体も何か間違っているような気がする。愛の形はさまざまで、自由。この話をし出したらきりがないし、正直うまく言葉にできない。
『彼女がそれも愛と呼ぶなら』あらすじ
高校生の千夏には秘密がある。それは、家に父親はいないのに、母親の伊麻とその3人の恋人たちと暮らしていること。美容オタクでバイセクシャルの亜夫、イタリアンのシェフでいつも落ち着いている到、そして、最近新しく家にやって来た博識な大学院生・氷雨。千夏は三人のことが大好きだけど、複雑な家庭事情を友人にも明かせずにいた。そんな秘密を持つから教室でも目立たないようにしていたのに、ある日クラスで一番の人気者から告白されて――。同じ頃、伊麻は高校時代の友人絹香と再会していた。子供を産んでも恋愛を楽しむ伊麻の姿を見て、絹香はある決心を固める。
幻冬舎HPより引用
この物語は、ざっくり言うとそんな“さまざまな愛の形”を描いている作品だ。千夏の母は3人の恋人がいて、千夏も含めて5人で暮らしている。千夏は3人を信頼しているし、3人も千夏を心から大切に思っている。まず、「常識的ではない」ということがこのあらすじの時点でいくつかある。母に3人という複数の恋人がいること。「普通」恋人はひとりだ。その次に、その3人の恋人が一緒に暮らしていること。「普通」はそんなことしない。
3人の恋人のうち、大学院生の氷雨は、嫉妬心を感じるようになる。当たり前だろうと思うが、この家庭ではあまり当たり前ではない。あらすじだけで正直お腹いっぱい、という感じなのだが、千夏にもある事件が降りかかる。これがまた結構しんどくて、私は何より千夏パートを読むのが苦しかった。
千夏は、そんな自分の家庭環境をそもそもは「普通」だと思っていた。しかしどうやら普通ではないらしいと気づいてから、友人にも言えず、孤独を感じるようになる。
例えば私は、千夏が友人だとしてそのことを打ち明けられたら「変わってるな」とはどこかで思うだろうけど、「そんな形もあるのか」と思うし「本人たちが良ければいいんじゃない?」と思うだろう。しかしそれは、私がもう大人で、ある程度いろいろと経験してきたり、いろいろな環境の人と会ってきたり、それこそ物語で読んだり、あらゆるケースが頭に入っているからだ。
この本を読んだ後、他の人の感想が気になって検索してみた。すると、おそらく学生の女の子(文章から察するになので違うかもしれませんが)は「気持ち悪い」と言っていた。少し強い言葉だったので一瞬驚いたが、そりゃそうかとも思った。「経験」という言葉だけで済ませるわけではないけど、「理解」とか「受け入れ」というのは、あらゆる「経験」があってこそ成り立つものなのかもしれないと思った。
私は単純にこの物語はおもしろかった。内容的におもしろかったと言うのもどうなのかという感じだけど、一木さんの書く文章がさらっとしていて読みやすかったのもある。本当にこれはもうタイトルのままで、本人たちが愛だと思うのであれば愛なのだ。人を傷つけてしまう愛(例えば独占欲からの暴力など)は寛容できるものではないけど。そしてこの話を読んで思い出したのが、凪良ゆうさんの『流浪の月』。他人には決してわからないような愛や繋がりは、存在する。
千夏の母も、千夏も、私が近所で見かけた彼らも、果たして「わかってほしい」と思っているのだろうか?自分たちの間にある愛を、他人にわかってほしいと思っているのだろうか?例えば私は、推しに対する愛を他人に「わかってほしい」とは思わない。思うことはただひとつ、放っておいてほしい。他人がわかったような口で、私の愛を語らないでほしいし、測らないでほしい。そんなふうに思うのだ。
ちなみに実写化もして、現在ドラマ放送中です。

