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『この夏の星を見る』は大人にこそ響く|辻村深月が描く「好き」を信じる力【映画化】

私は今、顔を洗ってからパソコンに向かっている。泣きすぎたからだ。辻村さんの物語は、不思議だ。ものすごく感動するシーンがずっと続くわけではないのに、全編通してうっすら涙目になってしまう。それは、「この子のこの気持ち、経験がある」と思う場面が物語中に散りばめられているからだ。それは子どもも大人も関係なく、触れたり奥まで入り込んだりすると壊れてしまいそうな柔らかい部分を刺激する。今回の作品もまさしくそうだった。

 

 

『この夏の星を見る』あらすじ/辻村深月が描くコロナ禍の中高生

コロナ禍による休校や緊急事態宣言、これまで誰も経験したことのない事態の中で大人たち以上に複雑な思いを抱える中高生たち。しかしコロナ禍ならではの出会いもあった。リモート会議を駆使して、全国で繋がっていく天文部の生徒たち。スターキャッチコンテストの次に彼らが狙うのは――。

哀しさ、優しさ、あたたかさ。人間の感情のすべてがここにある。(Amazonより引用)

 

あらすじに「コロナ禍」とあると「ああ、“そういう系”ね」と感じてしまうことがある。やはりなんとなく爽やかさからはかけ離れていて、鬱屈とした暗黒期…のような印象があるからだ。本作が単行本で出版されたときにまさしくそう思い、なかなか手に取ろうと思わなかった。しかし大好きな辻村さんの作品だ。やはり読まないわけにはいかないだろう、ということで、文庫になったタイミングで手に取った。そして予想を見事に裏切られた。

 

本作は7月4日に実写映画が公開される。正直、実写化をすると聞いたときは作品を読む前で、「コロナ禍の中高生たちの天体観測の話って、若干地味では…?」と思っていた。読み終わった後は、このキラキラとした物語が、どんなふうに映像になるのだろうかとワクワクしている。

辻村深月作品に共通する「好き」への情熱の描き方

確かにコロナ禍の中高生の話ではある。みんな葛藤しているし、もどかしい思いを抱えているし、そんな彼らを見ているとコロナ禍の頃を思い出して苦しくなる。私たち大人もコロナ禍ではもちろん苦労した。しかし学校に行けなかったり、部活が思うようにできなかったりした中高生の苦しみは計り知れない。本作はそんな中高生たちが鬱屈とした気持ちや「なんでだよ」というぶつけようもない怒りを持っているところから始まる。部活ができない、学校に行けない、友達とも会えない。極めつけは、親の職業によってコロナ罹患の可能性があり、友達から避けられる。

 

しかし物語の主題はそこではなく「コロナ禍でも何かできることがある」「コロナ禍でもがんばろう」というメッセージを伝えるための作品でもない。辻村さんの青春小説に共通して言えるのは、「好き」という気持ちの強さだ。まっすぐに「好き」に向かっていく清々しさは、「スロウハイツの神様」や「ハケンアニメ!」など、これまでの作品でも多く描かれてきた。今作では“コロナ禍だからこそ繋がった縁”も色濃く描かれる。

 

本来なら一緒に活動する機会のない、全国各地の天文部の学生や星が好きな学生たち。彼らはリモート会議を駆使して一緒に別の場所からそれぞれの望遠鏡を作り、星を観測するスターキャッチコンテストを行う。現代ではインターネット上での繋がりは珍しいものではない。しかし、彼らがどんどんリモートで繋がっている姿を見ていて、私は初めてできたインターネット上の友達のことを思い出していた。

 

私の学生時代は、まだそこまでネット上の友達関係というものは当たり前じゃなかった。SNSというよりも掲示板で繋がり、そこから気が合えばメールアドレスを交換するというもの。「学校」という社会が唯一だと思っていた私は、その広いインターネットの海にとても救われた。

 

学校が嫌いなわけではない。でも、私には他の世界もある。その事実が、どれだけ自分を救ってくれたか。嫌なことがあってもネット上の友達に相談することですっきりしたし、進路の相談や親との関係、学校の近すぎる友達には言えないこともなんでも話せた。好きなもののことについてずっと話していられる友達は本当に貴重だった。北海道や福岡、大阪、宮城…全国各地に友達ができたあの経験は、私の人生の中でとても大きなことで、世界を拡張してくれた出来事でもあった。

 

SNSの普及で、ネット上で友達を作るのは随分と簡単になり、危険とも隣り合わせになった。しかし、この作品で描かれたオンラインでの友達関係は、同じ目的に向かって進む、そして同じやるせない気持ちを抱える“同士”“仲間”の繋がりだ。それはあまりにもまっすぐで、さわやかで、清々しい。何か劇的な悲しいことが起きる…という展開はないのに、その繋がりの美しさにずっと涙目になっていた。限りなく透明な純粋さがそこにはあった。

 

「好きなことへの情熱は捨てることない」|大人だからこそ響く言葉

 

辻村さんの作品は、総じて登場人物が多い。特にこのような青春を描いた作品だと、視点がコロコロと変わるため、混乱することがあるのも事実だ。それでもどんどん話に引き込まれるのは、キャラクターすべてに背景があって、物語があって、その行動を取った理由があるから。

 

辻村さんの本を読むといつも、「人は多面的だ」ということに気付かされる。ある一面から見れば「ムカつく行動」でも、また他の一面から見るとまったく違う理由がにじみ出てくる。それを可能にしているのが、辻村さんの「多視点構造」なのだろうと思う。多くの登場人物のそれぞれの視点を加えることで、読者も誰か一人に肩入れすることなく「マルチアングル」のような視点で物語を見られる。その結果、全員のことが好きになってしまうのだ。本作も後半にかけての伏線回収に心が震えっぱなしで、下巻は特にほぼ泣きながら読んでいた。おかげで服の首周りがびしょ濡れだ。

 

彼女の作品は、いつも優しい。キャラクターに対する愛情が痛いくらいに伝わってくる。私は小説の中での推しはできにくいタイプなのだが、辻村さんの作品にはなぜだかいつも推しがいる。

 

作品の中に、こんなせりふがある。「進学とか就職とか、何かに活かせないとしても、好きなことへの情熱は捨てることない」。辻村さんの物語は、いつも「好き」を信じる力を教えてくれる。実際に大人になると、「好き」を諦めてしまうことが多い。仕事が大変だから、日々でいっぱいいっぱいだから…いろいろと理由をつけて、「好き」を手放してしまう。「好き」って、なろうとしてなれることではないのに、大人になるとその貴重さを忘れてしまうのだ。

 

辻村さんの作品は、学生の頃に出会えたら幸せだったなと感じることが多くある。でも、大人になったからこそ、響く気持ちもある。アニメ映画化された「かがみの孤城」の影響もあり、辻村さんの青春小説はどちらかというと子ども向けでしょ?と思う方がいるのだとしたら、ぜひ一度手に取ってみてほしい。あの頃の自分を思い出して、抱きしめたくなる瞬間が絶対にあるから。