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太宰治『人間失格』を初めて読んだ感想|77年前の絶望が現代のSNS時代に響く理由

「恥の多い生涯を送って来ました」。

この有名すぎる書き出しの小説を、私は一度も読んだことがなかった。Xで太宰治の小説がおもしろい、というポストを見かけて、今年の夏は名作と呼ばれる小説を読んでみよう!と、軽い気持ちで手に取った。最初の数ページでぞわっという違和感を感じて、なんて魔力のある本なのだろうと思い、覚悟を持って読み切った。そして今はラストに鳥肌が立っている。

 

 

人間失格』/太宰治 あらすじ|「恥の多い生涯」から始まる葉蔵の物語

 

主人公の葉蔵は、幼い頃から人間に恐怖を抱き、人間の生活や人が感じる幸せをさっぱり理解できなかった。しかしどうすれば人が喜ぶのか、ということは理解できたため、いつも「道化」を演じて人の生活に入り込むことにする。いわば処世術のようなものだ。中学生の頃まで葉蔵はうまくやっていたが、そこで初めて人に自分の道化を見破られる。その出来事は葉蔵にとって恐怖そのものだった。

 

その後、葉蔵は画塾で堀木という男と出会う。葉蔵は堀木に酒と煙草と女、つまり道楽のようなものを教わる。この堀木との出会いが、葉蔵の人生を大きく変えることとなる。

 

本作は、「はしがき」「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」「あとがき」という構成で、「はしがき」と「あとがき」は葉蔵ではない第三者の視点で描かれる。

 

「はしがき」である第三者の視点から始まり、「第一の手記」で「恥の多い生涯を送って来ました」と始まるのだが、この「第一の手記」が一番気味が悪い。葉蔵の人柄がまるでわからないからだ。とりあえず人間が怖いんだな、うまく馴染めないんだな、その処世術で道化を演じることにしたんだな…というくらいはわかる。しかし、葉蔵がなぜ人間のことが怖いのか、葉蔵の本心は何なのかがさっぱり掴めない。つまり感情移入しようがない。

 

「第二の手記」で、葉蔵は堀木に出会い、あらゆる女を知ることになる。このあたりから急展開の連続で、しかもその大きな出来事がさらっと書かれるので、頭が追いつかない。しかし続きが気になって仕方なくなる。自分の中の葉蔵の輪郭が変化してくるからだ。人間は怖い、だけど嫌いなわけではない、とにかく一人でいたくない、という葉蔵が抱く複雑な感情が現れる。

 

「第三の手記」では、もはや葉蔵はどうしようもない。読みながら「ちょっと待て」とツッコミを入れたくなるほどに堕ちていく。そしてまた第三者の視点に戻る「あとがき」。私は「あとがき」のラストのせりふに鳥肌が立った。物語自体にもちろん魔力はあるが、この構成がまた秀逸だと思った。

 

1948年の作品なのに現代に通じる3つの要素|SNS・アイドル・匿名性

 

私が何よりも興味深かったのは、1948年に出版された物語なのに、現代に通じることが多くあるところだ。

 

まず、葉蔵は処世術として「道化」を演じるが、これは現代の私たちも自然にやっていることだ。葉蔵のように猛烈な意思を持ってやっているわけではないが、「SNS上の自分」と「本来の自分」が違うように、「職場の自分」と「家族の前の自分」が違うように、私たちは自然に自分を演じている。もっと言えば、アイドルにも葉蔵のような人はいる。完璧に「アイドル」という自分を演じ、ファンとの距離を明確に測る。近すぎず遠すぎず、親しみやすい存在になる。

 

その次に、葉蔵の「モテ」。葉蔵は何を考えているのかよくわからない。葉蔵目線で書かれている手記を読んでも正直よくわからない。その「ミステリアスさ」がモテの要因のひとつで、きっと葉蔵は現代にいてもモテると思う。どんなに近づいても、本心に触れた感触がない男。葉蔵は後半になるにつれて酒まみれになるが、それでも周りにずっと女がいる。この「弱さ」も葉蔵の魅力で、弱いところを見せられた女たちは「この男には私しかいない」と思うのだ。

 

そして堀木のずるさ。堀木は本書の中では「世間」の象徴として描かれている。堀木は葉蔵の「道化」を見破っている人物でありながら葉蔵のことを本当に大切に思っているわけではない。友達だと思っていたかも怪しい。堀木は楽しいときだけ葉蔵を利用し、面倒臭くなってきたら離れる。つまり心からは葉蔵と向き合っていない。堀木のずるさは、現代の「世間」とも通ずるものがある。その出来事の背景や、その後ろにいる人物の心を想像しないで平気で自分の意見を押し付ける匿名性のあるSNSでのやり取りが思い浮かんだ。

 

文学が未来に繋がる理由|なぜ私は文章を書き続けるのか

 

決して明るい作品ではないが、きっとこの本で救われる人がいる。私は葉蔵ほど人生に絶望したことはない。しかし、人を怖いと思ったこともあるしなんとなく空虚感を感じたことはある。そんなときにこの本に出会っていたら、と想像する。

 

この本が書かれたのは77年前だ。そんな昔にも、この言葉にできない感情を抱えていた人がいたのだと思うと、一人じゃないと救われる気持ちにもなるし、いくら時代背景が変わっても人間が奥底に抱える問題は変わらないのだと思って心が楽になる。

 

過去の名作をほぼ初めて読んだが、読み切ったときにはぼんやりとしてしまった。もう決して会えない作者の、決して経験できない時代の心に少しだけ触れたような気がした。

 

それはその時代に太宰治がこの物語を書いて、残したから触れられるものだ。そう考えると、人間の想像力は未来へと繋がるものだと信じることができる。頭で考えているだけではなく、どこかに残しておけば、それが未来に繋がる気だってしてくる。だから私は今日もこうやって文章を書くし、これからも書くのだ。

 

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