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金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』感想|限界一歩手前で生きる女性たちの物語

「ソーシャル・ディスタンス」。2020年初頭に始まったコロナ禍の頃、これでもかというくらい耳にした言葉だ。人と集まらない、集まる時は距離を取る。“普通”が何を指すかは難しいが、コロナ禍前と同じような生活ができるようになった今、もはやその言葉は苦い記憶と共に懐かしくも感じる。

『アンソーシャル ディスタンス』/金原ひとみ|距離感にもがく女性たちの物語

 

 

金原ひとみさんの『アンソーシャル ディスタンス』は、女性たちを主人公とした5編の短編集。彼女たちは人との距離感にもがきながら、何かに頼っている。その何かは、ストロングゼロであったり、整形であったり、不倫相手だったり。それは彼女たちが見つけた希望で、しかしその希望は頼りすぎると壊れてしまう。

 

なんて胸がじくじくする短編集なのだろうと思った。彼女たちの、不安を煮詰めたような絶望や、希望を見つけたときのキラッとした瞬間。その希望が間違っているかもしれないと気づいたときの恐怖。すべて身に覚えがある。

 

例えば「ストロングゼロ」の主人公は、心を病んだ恋人との生活に耐えきれず、ストロングゼロに頼る。それはどんどんエスカレートして、帰り道も飲み、仕事中も飲み、最後には酔っていない時間の方が少なくなるほどだ。これほどまでではなく、私が頼ったのは酒ではないけれど、彼女と同じような経験をしたことがある。

人との距離感の難しさ

2011年。東日本大震災が起こったとき、私は福島にいる彼氏と遠距離恋愛をしていた。もう結婚しようと思っていた頃だった。彼も彼の家族も無事だったが、数日後、彼は仕事を放棄して一人で私の家までやってきた。そのときは、私は「一緒にいられてうれしい」と思っていた。振り返ってみると、ここから私も彼もどこか壊れていたのだと思う。

 

私が危機感を感じたのは、彼が私の家に来てからすぐのことだった。彼の職場から私の携帯に電話がかかってきたときに、初めてまずいことが起こっていると実感した。彼の親が彼を迎えに来て、彼が福島に帰るとき。私はもう彼とは一生会えないんじゃないかと思った。彼の精神がもう普通ではなかったからだ。彼が心を病んだトリガーは絶対に震災だったけれど、おそらく福島で一人暮らしをしているという事実がずっと苦しかったのかもしれないと今なら思う。

 

再び遠距離恋愛となり、私は毎日彼にメールを送っていたが、彼から返ってくるのはよくわからないことばかりだった。まるで人が変わってしまったようになったこともある。私はどうしていいのかわからず、彼との未来がどうなるのかもわからず、結局彼の親からの連絡で彼と別れた。

 

正直、ほっとした。もうこれで、毎日メールを送らなくてすむ。来るかもわからない未来に怯えなくてすむ。心からほっとして、自分に幻滅もした。結婚しようと思っていた人だった。それなのに、たった一度相手が心を病んだだけで、こんなにも心が離れてしまった。自分がものすごく薄情な人間に思えた。しかも、そのトリガーが震災だったからなおさらだ。

 

ストロングゼロ」の主人公の気持ちが、苦しいくらいにわかってしまった。彼女が頼ったのは酒。私が頼ったのはアイドルだった。あの頃、私も仕事に行けなくなり、朝から晩までアイドルのDVDを見ていた。そのDVDを見ているときだけは笑えたし、まるで夢の中にいるような気持ちだった。

 

それは現実でありながら、現実ではなかった。ずっと現実に戻ることから逃げていた。しかし、彼と別れて、距離ができると、私は自分でも怖いくらいに現実に戻ることができた。そのときに初めて、私は彼との距離が近すぎたあまり、彼の感情に引っ張られていたのだと気づいた

金原ひとみさんが描くヒリヒリした女性たち

人との距離感を、私はあれからずっと測っている。近づきすぎたくない。遠すぎたくもない。近づきすぎてまた壊れたくない、引きずられたくない。でも遠すぎるのも寂しい。そんな矛盾を抱えながら人と関わるのは、いつも孤独だ。どんなに仲の良い人にも、心の奥底は見せられない。人との距離感を考え続ける中で、私はどこか、宙に浮いているような気持ちでいた。この物語に出会って「わかる」と思うことで、救われる心があった

 

ストロングゼロ」の他にも、年下彼氏の若さに当てられ、整形に走る女性の「デバッカー」、夫からの逃げ道だったはずの不倫相手に振り回される「コンスキエンティア」、推しのライブ中止で心が折れ、彼氏を心中に誘う「アンソーシャル ディスタンス」、恋人と会えない孤独な日々で、性欲や激辛欲に支配される「テクノブレイク」など、どこかヒリヒリするような物語が集まっている。

 

この本で金原さんが描いた女性たちは、水が溢れる直前でなんとか耐えて生きている。少しでも揺らせばその水が溢れてしまう、限界一歩手前の女性たちだ。いろいろなものを諦めながらもヒステリック。どんな人間でも、そんな暴力的な一面を持っている。それを表に出すか出さないかの違いだけ。金原さんの文章は、マイナスなことを描いていても、どこか強い。

 

世間的には希望を与えるような物語ではないと思う。読んでいてとにかく息苦しいし、出てくるのは不器用な人間ばかりだ。自分のマイナスだと思っている一面を、物語を通して見せられたとき、嫌悪感を感じると共に少しだけほっとする。絶望と希望は隣り合わせにあって、遠いようで本当はずっと近い。絶望と希望の近くも遠くもない距離は、油断すると測りかねてしまう人との距離感にとても似ているような気がした。