読み終わった後に長いため息が出る本は久しぶりだった。8月に入ったばかりのときに手に取った早見和真さんの『八月の母』。途中でXに「おもしろい」と投稿したが、読み終えてその表現は間違っていたのではないかと後悔した。「おもしろい」という言葉には多様な意味を込められるが、それでもこの作品を表す上で「おもしろい」という表現は違う気がした。それほどまでに、重く、苦しく、濃密な物語だった。
本作の舞台は愛媛県伊予市。越智エリカは海に面したこの街から「いつか必ず出ていきたい」と願っていた。しかし彼女にとって母の存在は大きいもので、どうしても母を見捨てられなかった。そして自らも予期せず最愛の娘を授かる。エリカは自分が幼い頃に寂しかったという理由から、団地の自分の“城”を子どもたちに解放していた。団地にはあらゆる子どもたちが集まり、いつも騒がしい。そんな中で、ある事件が起こるーー。
この物語は「母と娘」にこれでもかというほどに焦点を当てた話だ。家には「環境」がある。自分の育った環境を、母のことを憎んでいたエリカは、自分の母とは違う角度からまた子どもを縛っていく。まるで螺旋のように繋がっていくその執着と愛しさ、焦り。外から見ると「なぜそうなってしまうのか」とツッコみたくなることも多く起こるが、その蟻地獄から抜け出せないのが家族の苦しさなのだろう。
私が読んでいる途中で「おもしろい」と表現したのは、中盤までは物語の苦しさをサスペンス的に味わっていたからだった。しかし中盤から終盤にかけて、物語は想像しない方向に転がり、ページを捲る手が止まらなくなるほど夢中で読んだ。この作品には確かに引き込まれる力がある。それはエンタメ的なおもしろさではなく、早見さんの「読ませる力」で、自分が物語の中に入り込み、透明になってその場にいるような感覚になるからだった。
「家族」とはなんなのだろう。この本を読んでいる最中、そして読み終わってから、何度も思う。耳当たりの良い「家族」「母性」「愛情」という言葉。しかし家族は自分の居場所を縛る「鎖」や「呪い」にもなり得る。私は一人っ子だということもあり、家が厳しかった。大学生になっても門限は22時で、母は私が帰宅するまで眠らないで待っていた。それは無言のプレッシャーになり、遅く帰って家の明かりがついているとどうしようもなく憂鬱な気持ちになった。それは私を心配して待っている、愛情だとわかっていても苦しかった。
あの頃にできた「鎖」は、今でもゆるやかに私を縛る。私は今でも、22時を過ぎて外にいるとどこかそわそわする。もちろん今は誰に何を言われるわけでもないが、それでも「早く帰らなきゃ」という気持ちになる。こんなに些細なことでも人間をこれまで長い時間縛ってしまう。そしてその鎖はきっといつまでも外れない。
幼い頃に親という一番近い立場の人からかけられる「呪い」は相当濃いものだ。むしろ「刷り込み」ともいえるだろう。家族は「家族」という強い名前で繋がれているが、それは決して切ってはいけないものなのだろうか。いや、そうではない。いくら育ててもらったとしても、人には自分の人生を生きる権利がある。この作品で何度も語られていることは「自分の人生を生きること。人のせいにしないこと」というメッセージだ。
人は、環境や人のせいにして逃げたがる生き物だ。「もっと美人だったら」「もっと痩せていたら」「もっと頭がよかったら」「もっとお金持ちだったら」…言い出せばきりがないし、私だってそんなことを何度も思ったことがある。これまでの人生で何度も環境のせいにしたし、人のせいにもした。
しかしこの物語が、登場人物が人生をかけて訴えかけてきたことは、忘れてはいけない価値観として自分の中に深く刻み込まなければいけないと思う。全体を通して重く苦しい物語だが、そこには確かに希望もある。読了後にもらった重たい荷物を持ちながら、私はずっとどこかで自分の人生を生きようと闘っている誰かのことを考え続けている。
