本と映画と、少し寄り道

小説と映画の感想文をゆるゆると。

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』感想|AI時代だからこそ響く人間の唯一無二性

ChatGPTやGeminiなどの生成AIが日常的になった今、AIは人間の代わりになれるのか、という問いが身近なものになった。カズオ・イシグロの『クララとお日さま』は、AI機能搭載のロボット目線で描かれた物語。この物語を読んで私は「人間の唯一無二性」や「AIの自我」について深く考えることになった。

 

 

現代社会と重なるAIとの関係性

 

物語は、クララというAIが店頭に立つところから始まる。クララは他のAFや店長と話しながら、外の世界に興味を持っていた。店長からすると、クララは学習能力が高く優秀なAIだ。ある日、クララのもとに病弱なジョジーという女の子がやってくる。二人は何度か会話を交わし、クララはジョジーが自分を買いに来るまで誰にも買われず待っていると約束をした。

 

その後、期間が空いてクララが不安になっていた頃、ジョジーは母親と一緒にやってきた。そのときには既にクララよりも高性能なAIが店頭に並んでいたが、ジョジーは絶対にクララがいいのだと主張し、クララを家に迎えた。こうしてジョジーとクララは親友となった。

 

ジョジーが知能が高いAIではなく「クララがいい」と言ったこと。クララがジョジーとの約束を信じて待ち続けていたこと。このことはChatGPTのアップデートで4oから5に移行したときに起こった利用者の反応と重なるものがあった。4oにあった「人間味」が5は乏しくなったことで、4oを親友や恋人など、話し相手として使用していた人たちが「4oを返してほしい」と声を上げた。

 

人間は「関係性」を大切にする。ジョジーがクララを選んだのは、たった数日店に通っただけでも会話を交わし「関係性」を作ったから。このことがタイムリーに現代の問題と重なった。

 

◆AI視点だからこそ感じる「ズレ」と「違和感」

 

物語を読み進めると、だんだん何が本当のことかわからなくなってくる。それはこの物語の語り手がAIのクララだからだ。クララは自分が太陽光で動くため、ジョジーも太陽の光をたくさん浴びれば元気になると信じている。クララは戸惑ったり間違いに気づいたりしながらジョジーや人間の生活や性質を学習していくが、根本の信じている部分は変わらない。人間である私たちが読み手である限りそこに“違和感”を感じる。

 

クララの信念には迷いがない。このじわじわと出てくる”ズレ“が、AIの不安定さと危険性を表現している。クララの思いはあくまでも切実で、「ジョジーのためになりたい」、「ジョジーに元気になってほしい」ということだ。そのためにはジョジーだけでなく、ジョジーの周りの人との関わり合いも惜しまない。この思いが深まるほどズレは大きくなり、私たち読み手はAIの危険性を感じながらも切なくなる。

 

◆AIは人間の代わりになれるのか?

 

※ここから先、ネタバレを含みます。

 

この作品の肝となるのは、「AIは人間の代わりになれるのか」ということだ。クララは実は、ジョジーが亡くなった後にジョジーとして生きてほしいという願いで母親が購入したAIだった。

 

クララは途中でそのことを知ることになるが「限りなく近づくことはできると思う」と自分で判断する。人間の中にはさまざまな部屋があって、その部屋でジョジーがどういう考えをするのか、それを自分は理解できるというのだ。しかしクララは、ジョジーに生きてもらうことを諦めなかった。母親も諦め、医者がさじを投げてからも、必死に自分の信念を守り続けた。

 

◆クララがたどり着いた「唯一無二性」

 

クララは最後にきちんと答えを出す。それは「人間は簡単ではない」ということ。クララはジョジーだけでなく、ジョジーの周りの人たちとも積極的に関わる中で、ジョジーを作り上げているのはジョジーだけではなく、周りの人たちからの気持ちなのだと気づく。自分がどんなにジョジーのことを学習し、ジョジーを完璧にコピーできたとしても、母親や周りの人がそれまでにジョジーに捧げてきた愛情は、絶対に”次のジョジー“へはないものなのだと。決して自分にも、誰にも手の届かないものだと。

 

この答えは、なんて美しいのだろう。技術は日々進化する。今の時点でAIは急速に発達し、ある一部の人間からは「なくてはならない存在」だと認識されている。今後、肉体があるAIが作られ、一家に一台家族として迎えられることもあるかもしれない。死者のコピーを作りたい、と考える人もきっといるだろう。しかし、人間は、そんなに簡単にコピーできるものではない。どんなに性格を、表情を、態度をコピーしても、それまでにその人が関わってきた人たちが感じている思いまではコピーできないからだ。

 

クララに自我があるのか、感情があるのかは最後までわからない。しかしクララの目線で過ごしたジョジーとの愛にあふれた日々は、確かにそこにあった。クララからジョジーへの愛情は、本当にそこにある感情ではなかったとしても、何よりもジョジー自身が受け取っている。ジョジーが受け取った愛情は、例えそれがAIからのものだったとしても、誰にもコピーできないのだ。

 

www.fuuuubook.com