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『植物少女』朝比奈秋――静寂の中にある「生きる」ということ

病室にはあらゆる匂いが混ざっていて、それがなんの匂いなのかわからない。消毒の匂いはもちろん、患者ごとに違う食事の匂い、患者の匂い、そして自分の匂い。マーブル模様のようなその香りは、きっと病院にずっといる人か、通ったことのある人にしかわからない。この物語を読んで思い出したのは祖母のことだ。もうすぐ祖母の命日がやってくる。そのタイミングで本書を手に取ったのも、何かの縁なのかもしれない。

 

植物状態の母と娘の静かな物語 『植物少女』/朝比奈秋

 

 

物語は、主人公・美桜の母が亡くなることから始まる。美桜の母は、美桜を出産した際に脳内出血で植物状態となった。美桜は母の死をきっかけに、これまでの自分と母の人生を振り返っていく。

 

幼い頃から美桜は病院で寝ている母のもとを訪れていた。そこで美桜は母にもたれかかって眠ったり、母の髪を染めてみたり、母の耳にピアスを開けてみたり、好き放題していた。幼い頃の美桜は、何も話さない母を相手になんでも報告することができた。いじめられていることや祖母と父が仲が悪いこと、心に溜まった澱をすべて母に預けた。

 

この物語は、美談ではない。奇跡的なことが起きる物語でもない。私たちはただ静かに、美桜と母の親子の時間を見守るだけだ。優しい気持ちになるとか、感動するとか、そんなことも正直なく、一言で言えば淡々としている。

 

しかしそれは決して悪いことではない。「生きる」とは、本当はどういうことなのだろう。喜んだり、悲しんだり、怒ったり、喜怒哀楽だけが「生きる」ということなのだろうか。私はこの物語を読んでからは、決してそうとは思えなくなった。ただ、そこにいる。ただそこで呼吸をしている。365日、一瞬一瞬を確かに生きている。

 

著者の朝比奈さんは、現役の医師だ。だからこそ、そこにリアルがある。そんな朝比奈さんが、この親子の物語をこのように淡々と、静かに描いたことが、「生きる」ことの答えなのかもしれないと感じた。

 

◆しわしわで冷たい祖母の手

 

この物語を読んで、私は一昨年亡くなった祖母のことを思い出さずにはいられなかった。病室の描写で、私はすぐにあの匂いを思い出した。病室の、なんともいえない匂い。決して好きとは言えないし、楽しい思い出があるわけでもない。しかし、その匂いが思い浮かぶと同時に、ベッドに座っていた祖母の表情も思い出す。

 

元気な頃はとても厳しく、喧嘩することも多かった祖母。入院をして、記憶が少しずつ曖昧になってからの祖母は、とても穏やかだった。祖母は若い頃に苦労したのだという。そんな苦労を背負っていたからこそ、娘である母にも孫である私にも厳しかった。入院してからは、まるでその鎧が脱げたかのように優しい祖母になっていた。

 

だんだんと私の名前を呼ばなくなり、焦点が合わなくなり、寝ている時間が増えていっても、たまに驚かされることがあった。それは、“握る力”だ。私が手を出すと、驚くほどに強く握り返してくれることがあった。もちろんなんの反応も返ってこなかったこともある。

 

力強さと、しわしわの手。骨ばっていて、いつも冷たかった手。きっとあの感覚は、これからもずっと私のことを守ってくれる。

 

◆静寂の中で「生きる」

 

本作でも、“手”が美桜と母の思い出に深く関わっている。美桜と母の意思疎通はきっと、できなかったのだろう。母が美桜を娘だと認識したことはきっと、なかったのだろう。しかしそれでも母は確かに生きていたし、美桜と繋がっていた。

 

「生きる」とはきっと、そこまで大げさなことではない。「生きる」とは、淡々とした生活の中にあり、実はとても静かなことだ。