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山内マリコ『さみしくなったら名前を呼んで』感想 大人になっても「あの頃」を引きずってしまう私へ

大人になって何年経っても、高校生の頃の感受性のままのような気がしてしまう。あの頃楽しかったこと、傷ついたこと、退屈だったこと、そのすべてがすごく臨場感を持って自分の中に存在しているように思ってしまう。だけどそれは勘違いだ。そんなわけがない。私はちゃんと成長していて、経験していて、進んでいて、生きているから。あの頃の喜びや痛みをそのまままるごと抱えているなんて、そんなことはない。

 

◆山内マリコ『さみしくなったら名前を呼んで』

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『さみしくなったら名前を呼んで』は、女性を主人公にした山内マリコさんの短篇集。ブスと呼ばれ続けた女、年上男に翻弄される女子高生、未来を夢見て踊り続ける14歳、田舎に帰省して親友と再会した女。「何者でもない」ことに懊悩しながらも「何者にもなれる」と思って、ひたむきにあがき続ける女性。きっと多くの人が感じたことのある焦燥感や、やるせなさを描いている。

 

私は、本作や『ここは退屈迎えに来て』のような作品を読むと、心の中がきゅっとなる。彼女たちの気持ちがわかる、と強く思いながらも、もうその感受性が自分の中にないことを実感するから。どこかで「懐かしいな」と、俯瞰して読んでいる自分に気づくから。当たり前ではあるけれど、もう私はあの頃の私のままではないんだな、と少し寂しくもなる。

 

◆なんでもないことがドラマだったあの日々

 

10代や20代前半は、とにかく心が忙しかった。本当に生きるのに必死というか、毎日がドラマのようだった。退屈な日々でさえ、ドラマだった。好きな男子と部活帰りに一緒に行くダイエー、そのフードコートで食べたアイス、緊張しすぎてろくに味がわからなかったチーズバーガー。クレープ屋が潰れて出来たシュークリーム屋、学校の近くの青すぎる空と海。こうして並べてみると、なんてことない景色だ。それでもあの頃は、その景色が、1秒1秒意味があった。

 

このような物語を読むと、そんな光景が、頭の中でチカチカする。決して戻れなくて、その頃の自分ももういない。だけど、ずっと心の中で光り続ける思い出。あぁ、私はおばあちゃんになっても、ずっとこんな気持ちでいるのかなぁ。ずっとずっと昔の思い出や昔の自分を懐かしんでいるのかなぁ。

 

そこまで考えて、寂しくて虚しくなると同時に、それでもいいのかも、とも思った。あの頃と同じままでいられなくても、その時の気持ちを忘れない限り、あの頃の私は、今の私の中にも確かにいるから。何歳になっても、心の中でひょっこり顔を出すことがきっとある。こうやって今みたいにセンチメンタルな気持ちになってしまうとき、「お、また来たね?元気だった?」って言えるような、そんな大人でありたいと思う。

 

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